礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2022.8.14 主日礼拝 驚くべきコイノニア⑥「平和(和解)より生じる」友納靖史牧師【ローマの信徒への手紙 5章1~11節】(新共同訳 新約P.279~280)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 イザヤ書 52章7~10節 司式者
祈祷 司式者
賛美 教団讃美歌531番「心の御筝に」1.2.3節
聖書 ローマの信徒への手紙 5章1~11節
特別賛美 「平和の祈り」聖歌隊
「ガブリエルのオーボエ」小松澤恵・真部裕
宣教 驚くべきコイノニア⑥「平和(和解)より生じる」友納靖史牧師
祈祷
賛美 聖公会賛美282番「罪に苦しむ」1.2節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「平和は『そこにある』のでなく、『ここに創り出す』もの」と言われます(参照:マタ18:21-35)。戦後77年目を迎え、「平和を実現する者は幸い。その人たちは神と子と呼ばれる(マタイ5:9)」との主イエスの御言葉に立ち、平和を創り出すコイノニア(交わり)を生み出す力を主より頂くため、共に礼拝を奉げましょう。
「わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得て(持って・保って)います(ロマ5:1b)」と使徒パウロは実に驚くべき宣言をしました。その裏付けは「このようにわたしたちは(イエスを救い主と信じる)信仰によって義とされたから(ロマ5:1a)」だと語るのです。聖書が宣言する『平和』(ギリシャ語:エイレネー、ヘブライ語:シャローム)とは、全ての側面(全人的)を包括する言葉です。つまり真の平和(シャローム)とは「私と神」「私と隣人(世界)」そして「私と私自身」との関係性が、『和解』<断絶と敵対関係が取り除かれた状態>、つまり平和であると。残念ながら全ての者が、完全な真の平和を持ち、保ち続けることが難しい存在ですから、パウロはこう語りました。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです」(コリ二5:17-19)。パウロはこのように各書簡で「私と隣人」の間に真の平和(和解)を実現する使命(任務)を担うには、何よりも「私と神」との間に和解と平和が必要不可欠だと語ります。
こうしてパウロは「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました (5:8-9)」と告白し、神がその御子イエスの死の意味を知り、神との間に私にも救いが与えられた喜びが、和解と平和の原点とされること。だから、課題多き世界へも恐れず遣わされて生きる者とされると証言します。スイスの神学者トゥルナイゼンが「キリストの平和は『台風の目』の中にあるようなものだ」と語りました(「この世に生きるキリスト者」著)。正にこの世には多くの課題が渦巻いていますが、キリストに与えられた永遠の命と救いを信じる時、嵐の中でもキリストとのコイノニアより平和が生まれるのです。
原爆投下の約二カ月後、被害状況調査のため長崎へ米軍海兵隊が上陸しました。その中にいたB.ファニング青年が被爆を免れた教会の礼拝に参加した時、「主の晩餐式」が行われていました。会衆席最終列で「敵だった米兵の自分に配ってはくれないだろう…」と思い黙って座っていたそうです。しかしその時、配餐係の一人が自分の前にパンと杯を差し出し共に主の晩餐を受けることができました。その感動と共に戦争の悲惨さを帰国後米国内で伝え、牧師として献身。再び長崎へ戻り、同じ主イエスに赦され、救われたコイノニアの喜びを語り伝える働きを担われ、世代を超えた平和のコイノニアを広げる一人とされました。
私たちも、あの配餐係の方のように、自らもキリストの愛と赦しを与えられた者として、恨み憤りの感情を乗り越え、和解と平和のしるしを差し出す信仰と力を聖霊の力によって日々与えてください、と祈ります。