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礼拝
森崇

常盤台バプテスト教会 2025.11.2 主日礼拝 ヨハネ福音書講解⑳「時をかける救い主」森崇牧師【ヨハネによる福音書 7章25~36節】(新共同訳 新約P.178~179)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                 
招詞    イザヤ書 46 章9~10節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生291番「主イエスの支配は」
主の祈り
献金感謝
主の晩餐式 新生414番「マラナタ」
聖書    ヨハネによる福音書 7章25~36節
宣教    ヨハネ福音書講解⑳「時をかける救い主」  森 崇牧師
祈祷
賛美    新生540番「わが魂の慕いまつる」
頌栄    新生668番「みさかえあれ(A)」
祝祷
後奏
宣教概要
 主イエスは時をかける救い主です。「時をかける」とは「時と時を繋いでいく」と「その時に向かっていく」との二つの意味があります。
イエスさまは自分の時をご存じでした。すなわち、ご自分が天の父の元から遣わされ、十字架においてご自分の栄光を顕し、復活されて父の元に帰られる、すべての時を知っておられました。この方は地上において多くのしるしをなさり、ご自分がメシア(救い主)であることを世に示しました。しかし、人々はイエスを信じようとはしませんでした。それはイエスの出自を人々が知っていたからです(27)。人々によればイエスは「ナザレのイエス」であり、「ヨセフの息子」でした。メシアは突如として現われ、神秘性があると信じられていたためにイエスを救い主だと認めませんでした。イエスは言われます。「今しばらく、私はあなたがたと共にいる。それから、私を遣わした方のもとへ帰る。あなたがたは、私を捜しても、見つけることがない。私のいる所に、あなたがたは来ることができない。」(33,34)
 主イエスさまはご自分の帰られる天を、場所をイメージできる言葉を持って表現します。「帰る/捜す/見つける/来る」とは空間的なイメージです。それはすなわち、天の国と現在の地上は断絶せず、繋がっていることを指し示します。イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には住まいがたくさんある。…あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる」 (14:6,1-3)主イエスが道であられるので、私たちはイエスの十字架と救いに繋がることが出来、また主イエスと共に父の家に向かうことも可能です。そのための主イエスの時なのです。
聖書には三つの時があります。➀主イエスが十字架に架かり、その栄光を顕される時②弟子たちに聖霊が注がれる教会の時③主イエスの再臨の時です。このヨハネ福音書においては「イエスの時」と「教会(聖霊)の時」と「終末の時」があります。
 イエスさまは「私の時はまだ来ていない」(7:6,8)と語られました。誰も人は神の定めを超えて時を支配することは出来ません。イエスを捕えようとしても主イエスに時の支配の権限があります。しかしイエスが受難を受けるべき時が来れば、捕らえられ、その通りになると簡単に平易に時が進んでいくことはありません。それは主イエスが自ら自分の命をお捨てになられるからこそ、私たちの救いと赦しはみ旨にかなって完成されます(12:23)。主イエスは自分の時が来たことを知り、弟子たちと最後の晩餐をされた際、主イエスは「立て。さぁ、ここから出かけよう」と言われ、ゲッセマネの園へと向かわれます(14:31)。園で捕らわれる時も、自分の身に起こることをすべて承知で進み出て「私である」と告げます(18:4)。主イエスは、確かにご自分の時を知り、またそのために自分の命をかけて父なる神への従順を全うされました。
 私たちは現在、どのような時の中にあるでしょうか。神さまの御心は何でしょうか。想像を絶するような苦難の中を歩まれている方もおられるでしょう。主イエスは私たちの病とまた弱さを担われるために、全き苦難の僕となられました。今が主イエスの時です。主イエスの姿を信じ仰ぐとき、受難の中で神の栄光が顕されることを共に信じましょう。又、今や教会の時です。私たちの常盤台教会が創立75周年を迎えた時、100年に向かってどのようなビジョンが示されているのか、祈りつつ備えてまいりましょう。私たちは主イエスと共に時を進んでいきましょう。