礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2022.8.28 主日礼拝 驚くべきコイノニア(交わり)の力⑦「祈りより生じる」友納靖史牧師【フィレモンへの手紙 4~7節】(新共同訳 新約P.399)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ヨハネの手紙 一 1章1~4節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生430番「しずけき祈りの」1.2節
聖書 フィレモンへの手紙 4~7節
特別賛美 70周年記念讃美歌7番「主にある」
宣教 驚くべきコイノニア(交わり)の力⑦「祈りより生じる」友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生442番「この世のつとめ いとせわしく」1.2.3節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- …わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです」「神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます」(ヨハネ一1:3-4,7)。シリーズ最終回は、主なる神(父・子・聖霊なる神)に『祈る』ことによって、主と交わり、主のみ声を聴き、主の清さに触れ、人生が変えられる恵みを分かち合います。
フィレモンはコロサイ教会の働きを担う中心的人物でした。ローマ時代、彼の家にも僕(奴隷)がおり、その一人オネシモが逃亡し、使徒パウロと出会い、神を信じ、獄中のパウロを世話する者となったのです。パウロはオネシモをフィレモンに帰すため、時を見計らい、熱く祈り続けていました。「わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです(フィレモン4-5)」。この文からもフィレモンが尊敬すべき模範的人物であったことが分かります。しかし一方で、彼の奴隷オネシモが突然姿を消し去った怒りの感情が渦巻いていたことをパウロは知っていました。当時の法律で、逃亡奴隷は死罪に当たる厳罰を受けると定まっていたからです。パウロはそれを承知の上でフィレモンへ手紙を書いたのです。逃亡奴隷オネシモを、奴隷の主人としてではなく、同じ主を信じる「仲間(ギ語:コイノノス)」として迎え入れて欲しいと。「 …もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟として…オネシモは特にわたしにとってそうですが…一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください(16-17)」。
これは、主イエスが全ての者の身代わりとなって十字架で死に、罪を贖われた驚くべき神の赦しと執り成しで救われたパウロの経験に基づいており、コロサイ教会への手紙からも分かります。「神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました(コロ1:19-20)」と。ですからパウロはこの申し出を使徒の立場で強いることなく、フィレモンが自主的に決断する信仰を持つことを信頼し、祈り続けました(フィ14)。「わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わり(コイノニア)が活発になるようにと祈っています(フィ6)」。つまりフィレモンが主に祈る時、愛と義なる神との交わりの中で、彼自身も他者との関係において、神の御心に沿う交わり(コイノニア)が生じると信じていたからです。
キリストを信じる私たちも、フィレモンのように人生で何かの痛みや怒りを心に抱えて生きていないでしょうか。これらは誰かに執り成され、祈られ、「同じ赦された罪人の一人である」との自覚が聖霊によって与えられる時、「憐み・慈愛・謙遜・柔和・寛容な心」が注がれ、愛の絆で結び合わされる交わり(コイノニア)に生きる者とされます(コロ3:12-17)。今も主イエスに祈られ、執り成されていることを覚えて感謝し、共に祈り合い、人生の課題を乗り越えさせて頂きましょう(ヘブ7:24-25)。