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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2026.2.1 主日礼拝 ヨハネ福音書講解㉗「人生で知るべき真理」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 9章1~23節】(新共同訳 新約P.184~185)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏             
招詞    コリントの信徒への手紙 二 13章8~9節  司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生8番「主の呼びかけに」
主の祈り
献金感謝
主の晩餐式 「ひとつの聖霊」
聖書    ヨハネによる福音書 9章1~23節
宣教    ヨハネ福音書講解㉗「人生で知るべき真理」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生497番「イエスさまは心のともだち」
頌栄    新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏
宣教概要
 「真理とは何か」。これは当時のローマ総督ピラトが、主イエスを死刑にする権威を持つ彼の許にユダヤ人たちが連行した際、主との対話でピラトが発した言葉です。ピラトは何の罪もイエスに見い出すことが出来ず、不当な罪状によって殺されようとしている(冤罪だ)と知っていました。にも関わらず、自分自身の地位を守るため、ピラトはイエスを十字架につける決断をしてしまったのです。真実と真理に背を向ける彼の姿がこの福音書(ヨハ18:28-19:16)に、更には『使徒信条』で「ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け」たと語り継がれました。真理を問いながら、真実や正義よりも自らと自国の都合で真理から目を逸らす罪。現代社会においても、その現実に失望感を覚え涙する人々の叫びを、主なる神は決して見逃されるお方ではありません。主イエスはピラトに向かって「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く(ヨハ18:37)」と語られ、いかなる時も変わることのない神の教え、救いと恵みを大胆に宣べ伝え、実践されました。それも十字架の死に至るまで謙虚かつ大胆に歩まれた姿。この方にこそ神の真の姿を見ることが出来るのです。
預言者エレミヤは主は「真理の神、命の神、永遠を支配する王」と告白します(エレ10:10)。そこに主イエスご自身が「わたしは道であり、真理であり、命である(ヨハ14:6)」と告白したことは、ユダヤ教宗教者にとっては受け入れ難い事でした。けれども主イエスは誰をも恐れず、真理は真理として語り続けたのです。生まれつき目の見えない盲人と出会い、当時の宗教倫理観である「人が生まれつき目が見えないのはこの本人か親が罪を犯したことが原因」との、間違った理解を明確に拒絶されハッキリ宣言されました。この人が他の人と異なるのは「誰が罪を犯したからでもなく、神の業がこの人に現れるためである(ヨハ9:3)」と。ここに驚くべき神の決断と愛の宣言がされます。つまり、人間の目から見ると不幸と思える状況や出来事さえも、神自らが責任を担う、と言われるのです。神は、人間が負うべき自らの罪さえ、神の御子イエスに十字架で担わせ、罪を贖って取り除く程までに、神の被造物・人間を愛される驚くべき真理がここにも明確に証しされるのです。
この日、主イエスと出会い、つばと土でこねた泥を目に塗られた彼は主に命じられるまま、シロアムの池でそれを洗い落とすと、直ちに見えるようになりました。この時起きた真実(Truth/Fact偽りのない事実)を恐れず人々に彼は語ります。主と出会う前、目が見えないことで差別され自己評価が低く弱々しかったあの同一人物とは思えない程、人々の前で大胆にイエスに癒された証しする姿。これは主ご自身の存在をアブラハム誕生以前から「わたしはある(ギ語:エゴ・エイミー)」と、神存在の真理を宣言されたように、この人も神に癒され愛された真実に「わたしがそうです(エゴ・エイミー)」と告白するに至ったのです。正にここには主イエスとの出会いにより、彼の存在と人生が確かな者とされた喜びの奇跡物語が記されます。その一方でヨハネは、肉眼の目は見えていた当時の人々こそ霊的な目が閉ざされた不自由な姿に皮肉を込めて書き残したのです。
「真理とは何か」と問い、知っていながら従わなかったピラトと同じ危うさと罪を抱えている私たち。その私たちを赦された神の愛に感謝し、今も真理を知りながら自らの都合に合わせ、忖度と妥協、正義に目を閉ざす弱さと罪を告白し合いましょう。ヨハネは後にこう書き記しました。「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません(ヨハ手紙一1:8)」と。今朝も「主の晩餐」を受け、主イエスこそ真理であり、そのお方に従い得る力を注いでくださいと聖霊の助けを仰ぎつつ祈り踏み出しましょう。
〜心と家を整える習慣〜
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