礼拝
金本悟
常盤台バプテスト教会 2026.5.31 「聖なる神は熱情の神」金本悟牧師【ルカによる福音書 4章16~21節】(新共同訳 新約P.107~108)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ガラテヤの信徒への手紙3章26~28節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生567番「み神こそわが望み」
主の祈り
献金感謝
聖書 ルカによる福音書 4章16~21節
特別賛美 「キリストの愛 我にせまれり」吉田理子/小松澤恵
宣教 「聖なる神は熱情の神」 金本悟牧師(練馬神の教会名誉牧師)
祈祷
賛美 新生626番「主はいのちを与えませり」
頌栄 新生671番「ものみなたたえよ(A)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 私はこれまで、喜びも悲しみも様々に経験してきました。学生の頃、「敵を愛しなさい」というイエスの言葉につまずいたことがあります。苦しみの中で「イエスは私の痛みを分かっていない」と感じたのです。その時に出会ったのがヨナ書でした。預言者ヨナは、当時イスラエルを脅かしていたアッシリアの首都ニネベに神の言葉を告げるよう命じられます。しかし、敵国が滅びを免れることを喜べず、ヨナは神に怒り、使命から逃げ続けました。それでも神はヨナを見捨てず、追いかけ、語りかけ、憐れみ続け、立ち直らせました。逃げるヨナに向けられた神の忍耐強い愛を知ったとき、「愛せない私をも神は愛してくださる」という確信が与えられました。
イエスは「しるしを求める人々」に対し、「預言者ヨナのしるしのほかには与えられない」と語られました(マタイ12:39-40)。ヨナが三日三晩大魚の腹にいた後ニネベに遣わされたように、イエスも十字架の死から三日後に復活し、弟子たちに現れました。ここに共通するのは、「罪人をなんとかして赦し、救いに導こうとする神の熱情(キヌアー)」です。弱さゆえに神から逃げる者をも立ち上がらせようとする燃える愛です。
イザヤ書9章には、イエスが「平和の君」としてこの世に遣わされること、そして「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」ことが預言されています。この「熱意(キヌアー)」とは「燃える愛」「燃える情熱」を意味し、十戒にも「わたしは熱情の神である」とあります。聖なる神は、罪に満ちた世界の人々を憎みながらも愛し、苦しみながらも救い出し、関係を回復しようとされる方なのです。
イエスはルカ4章において、公生涯の最初にイザヤ61章を引用して朗読された時、「神の報復の日」を省き、「主の恵みの年」を宣言されました。イエスが見ておられるのは、裁きより憐れみ、排除より回復、復讐より和解と平和が満ちた神の国です。神の熱情は、人を滅ぼすためではなく、生かし、立ち返らせるために燃えているのです。
さらに、イエスはペトロに「ヨナのしるし」を託されました。ペトロが「あなたはメシアです」と告白した時、イエスは「この岩の上に教会を建てる」と語られました。しかしペトロはイエスが十字架に架かる直前に、主を三度も否認します。このペトロを復活の主は見捨てず、「ヨハネの子シモン、わたしを愛するか」と三度問い、「わたしの羊を飼いなさい」と使命を委ねられました。ここに赦しと再出発の福音があります。こうしてペトロも「ヨナのしるし」を帯びて遣わされていきました。
では、教会とは何でしょうか。教会に集う私たちは完全な者ではなく、「赦されたニネベの人々」のような存在です。そして「ヨナのしるし」を帯びた者の群れとして、イエスが治める平和の国のために、和解の福音を携えてこの世界へ遣わされているのです。神が求めておられるのは完全な人ではありません。弱くても、逃げ出すことがあっても、神は私たちを見つけ出して、休息を与え、時が来れば再び遣わしてくださる方なのです。
現代は争いと分断に満ちています。しかし聖なる神は今も熱情をもってこの世界を愛しておられます。かつてイエスを遣わされた神は、今、教会に集う私たちをこの世に遣わしておられます。私たちもイザヤのように「ここに私がおります。私を遣わしてください」と応答し、歩み出してまいりましょう。