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礼拝
森崇

常盤台バプテスト教会 2026.9.27. ヨハネ福音書講解(56)「溢れんばかりのめぐみ定食をどうぞ」森崇牧師【ヨハネによる福音書 20章30節~21章14節】(新共同訳 新約P.210~211)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                 
招詞    イザヤ書63章8~9節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生240番「救いの主はハレルヤ」
主の祈り
献金感謝
聖書    ヨハネによる福音書 20章30節~21章14節
特別賛美  ”神様の恵み” グレースアンサンブル
宣教    ヨハネ福音書講解(56)「溢れんばかりのめぐみ定食をどうぞ」  森 崇牧師
祈祷
賛美    新生244番「救い主にそわれは仕えん」
頌栄    新生672番「ものみなたたえよ(B)」
祝祷
後奏
宣教概要
 「これらのことが書かれたのは、あなたがたがイエスは神の子メシアであると信じるためであり、また信じてイエスの名により命を受けるためである」
ヨハネ福音書は元来、20章31節の結語をもってとじられていました。「イエスは神の子、救い主(ヘブライ語メシア、ギリシア語キリスト)と信じる」ことは、「信じ続ける」ことを指しています。そして信じたものは「永遠のいのち」を受けるのです。イエスさまがなされた多くのしるしは書ききることが出来ず、その「イエスは神の子救い主」との信仰に至る必要なすべてが1-20章に記されています。しかし、21章を補足した記者は、その信仰に至る大切な物語を加えて記すことを聖霊によって示されました。
復活された主イエスは既に弟子たちに聖霊の息を吹きかけて、この世に対して派遣されました(20:21-23)。弟子たちはその後自分たちの故郷に帰り、宣教活動に励みましたが、うまくいきません。元々はガリラヤの漁師でもあったので、生活の必要を得るべく、漁に行きます。7人の弟子たちは夜通し苦労したのにも関わらず、何も取れませんでした。そのような中、夜明けと共に彼らを待っていたのは主イエスでした。彼らの目は朝もやで遮られていたのか、主だと気づきません。主は「何か食べるものがあるか」と問われました。これは、「おかずになるものはあるか」という問いです。否定形の答えを期待する主イエスの問いかけは、「夜通し苦労したのにも関わらず、途方にくれたのだね」という憐れみを示すものでした。
その彼らに対し、主は船の右舷に網を打つことで、その漁が成功することを約束しました。右側とはギリシア語で幸運の座を意味します。弟子たちは何も言わずに直ちに従います。そうすると、主の奇跡によって網を引き揚げることのできないほどの魚がかかります。これは元来「人を取る漁師」(マルコ1:17)として招かれた弟子たちの大切な基本姿勢を示すものでした。すなわち、人の努力だけではうまくいかず、主イエスの命令と助けによってそのことが初めて可能である、ことの。
ヨハネはペテロに「主だ」と伝えます。ペテロは一目散に上着をまとって湖に飛び込み、主のもとに行きました。岸には主イエスの準備された炭火とパンと魚がありました。獲れた魚は153匹でした。しかしこの主の溢れんばかりのめぐみを納めても、その網は破れることはありませんでした。これは宣教という網によって多種多様な人々が集められ、またその人々からなるキリストの教会は破れずに一つであることを示したものです。
私たち一人ひとりにこの物語は語りかけます。私たちには日々の働きやなすべき務めがある。神さまから与えられた使命、夢や希望に向かって生きたい。しかし、どうしてもうまくいかないことがある。夜中頑張っても途方に暮れて、疲れを覚え、絶望するときがある。暗い気持ちで迎えた夜明けに私たちを待っていてくれた誰かと会う。その誰かは私たちを慰めて励まし、あたらしい日に向かうように気持ちを整えてくれる。この誰かは私たちに再びチャレンジする心を与え、神の御心にそうように導き、励ましてくれる。そうして、私たちはいつかついに、溢れんばかりのめぐみに与かり、その時に初めて気づくことが出来る。「あれは主だ」と。「復活の主が共にいてくださった」と。私たちはその恵みの中、幾分かを主の元に差し出し、そして主が用意された食卓に与かる。主がかつて開かれたパンと魚の奇跡の食卓は、今、現在も続いている。復活の主が共におられる。私たちの働きを支えてくださるのも主のめぐみ、私たちの命(生活)を支えてくださるのも主のめぐみである。復活の主は私たちも前に何度も現れてくださる。例え私たちが彼の姿に気づけなかったとしても、主の愛と憐れみは変わることがない。だから私たちは前向きに、主の救いの業を現わしていこう。その働きを完全にしてくださるのは主であり、その働きに十分に報いてくださるのも主であるから。