礼拝
福田雅祥
常盤台バプテスト教会 2022.10.30 主日礼拝 「生涯の日を正しく数えるように」福田雅祥牧師(函館美原キリスト教会牧師)【詩編 90篇10-12節】(新共同訳 旧約P.929)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ヘブライ人への手紙 13章15節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生59番「父の神よ 汝がまこと」1.3節
献金感謝 司式者
聖書 詩編 90篇10-12節
特別賛美 新生103番「望みも消えゆくまでに」1.2節
宣教 「生涯の日を正しく数えるように」福田雅祥牧師(函館美原キリスト教会牧師)
祈祷
賛美 新生514番「めぐみの主は」1.4節
頌栄 新生671番「ものみなたたえよ(A)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 常盤台教会が創立70周年を迎えられたことを、コロナによって二年遅れの来会となってしまいましたが、まず最初に心からお祝い申し上げます。
このような節目を覚えるということは、とても大切なことだと思います。それは、私たちの人生においても同じです。
詩人は、「人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても、得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります」(10節)と言っています。確かに瞬く間に時は過ぎていきます。そして、毎日の生活の中には、もちろん、嬉しいことも、楽しいこともある訳ですが、一方で、悩みも尽きません。
さらに詩人は、「御怒りの力を誰が知りえましょうか」(11節)と言います。聖書は、私たち人間は皆、生まれながらにして罪人であり、神の怒りのもとにあると教えています。ですから、この神様の怒りとは、私たち人間の罪に向けられた神様の怒りを意味しているのでしょう。
ここだけを読むと、この詩人は、私たちの人生を、悲観的に受け止めているように感じます。「人生は、せいぜい70年か80年。それは、悩みに満ち、あっという間に過ぎ去るはかないもの。しかも、神の怒りのもとにある」と言うのです。少し重い気持ちになります。
しかし、だからこそ詩人は、12節で、このように神様に祈ります。「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」。
「生涯の日を正しく数える」とは、どのような意味でしょうか。
それは、今、自分が自分の人生の中で、どこに立っているのかを、神様との交わりの中で、思い巡らしてみることではないでしょうか。もちろん、誰も自分の人生が、どこまでなのか知りません。しかし、あえて自分がどこに立っているのかを思い巡らしてみると、様々な気づきが与えられます。そのような気づきが大切なのです。
詩人は、「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」(12節)と祈っています。
この「知恵ある心」とは、何でしょう。ひと言で言えば、「私たちのいのちは神様の御手の中にあるという信仰」です。
さらに、具体的に言うならば、大きくふたつあると思います。ひとつは、「人は皆、死ぬということを受け止め、神様の救いを受け取る」ということです。そして、もうひとつは、「今、必要なものを神様に教えていただきながら、それを求めて生きる」ということです。
私たちの人生は、確かにはかないものかも知れません。しかし、神様は、私たちを救うために、イエス様による救いを備えてくださいました。私たちは、イエス様によって、「神様の怒り」から解放されるのです。私たちは、イエス様によって、罪がゆるされ、永遠のいのちを与えられるのです。本当に素晴らしいことではありませんか。まず、この第一の知恵を身につけましょう。
そして、自分が今、人生のどこに立っているのかをしっかりと見つめつつ、今この時にこそ必要なものを神様に教えていただきながら、それを求めて生きたいと思います。私たちは、今の自分に必要なものを、意外と分かっているようで分かっていないものなのです。だからこそ祈り求める必要があるのです。この第二の知恵を身につけましょう。
「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」(12節)との詩人の祈りを、お互いに自分の祈りとして生活したいと思います。