礼拝
渡部信
常盤台バプテスト教会 2023.3.26 主日礼拝 「真理(まこと)なる神 ー イエス・キリスト」渡部信牧師【ヨハネによる福音書 4章16~26節】(新共同訳 新約P.169~170)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 詩編 42篇 1~5節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生81番「父なる わが神」1.3.4節
献金感謝 司式者
聖書 ヨハネによる福音書 4章16~26節
特別賛美 新生386番「あまつま清水」1.3節
宣教 「真理(まこと)なる神 ー イエス・キリスト」渡部信牧師
祈祷
賛美 新生544番「イエスに導かれ」1.3節
頌栄 新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 今日の聖書個所であるヨハネ福音書ですが、これは、弟子のヨハネが著者ではなく、この著者はヘレニズムというギリシャ文化に親しみ、ギリシャ語を話す異邦人のクリスチャンだと考えられています。ユダヤ教の背景を知らない異邦人に対して、キリスト教の福音とは何かを判り易く紹介するため、その成立は、マルコ、マタイ、ルカ福音書に、更に新しい資料を盛り込み、新約聖書の中では最も遅い紀元100年頃、記されたとされています。
そして、イエス・キリストが死から甦ることによって、信じる者はすべて闇の力から解放され、新しい永遠の命に与ることを宣べ伝えています。また、信じた者はこのイエス・キリストを通して助け主なる聖霊が与えられ、神の愛によって互いに愛し合うように教えられています。使徒パウロの手紙と比べると、内面の罪を叱責するのではなく、主イエス・キリストをまず信じなさい、信じられないならそのキリストの言動をよく見て信じなさい。誰でもキリストを信じるならば、神の永遠の命に与ることに重点が置かれていると言えるでしょう。
そのためしばしばキリスト教を知らない国々で伝道するとき、信仰がよくわからない初心者には、まずヨハネ福音書から読みなさいと言われるのはそのためです。
クリスチャンにとって、特別に罪の意識を持ち、悔い改めを通してクリスチャンになった方もおれば、神の真理の道を学びたいと願って、信仰を選びとった方もおられるかと思います。何か、悪いことや困ることが起きなければ、信仰を持つのではなく、世の光、真理の道、命の水の教えのように、私たちが何者かが問題ではなく、イエス・キリストが何者なのか、真の神であるイエス・キリストを信じることが神の救いだと、告げているのです。
つまり、今、普通の生活をしている人も、全ての人々が、真の神であるキリストを信じる必要があり、その方を受け入れるように神様は招かれているのです。
仏教の親鸞の教えに「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という有名な教えがありますが、これは「善人でさえも極楽往生できるのだから、ましてや悪人が往生できないわけがない、という意味です。善人が救われるなら悪人は当然救われるので、悪人だけに救いがあるのではないことを諭した親鸞の言葉です。
イエス様の福音の中心は、学者で議員でもあったニコデモにも、サマリヤの女性にも、ラザロの姉妹マリアにも、戸惑う弟子たちにも、イエス様の甦りを疑うトマスにも、「私を信じなさい。信じられないなら、私のする(業)働きを見て信じなさい。」と語られました。
そして今日の聖書の箇所は、人生の幸福を求めてさまよい人生を歩んで来たサマリヤの女性に、イエス様が出会われ、声をかけられたことに始まります。その女性は、自分の人生を言い当てたイエス様を預言者かもしれないと思い、「わたしどもはサマリヤの山で神様を礼拝していますが、あなたがたはエルサレムで礼拝しています」と自分の立場を説明しました。それを聞いたイエス様は、「サマリヤの山でもエルサレムの神殿でもないところで礼拝する時が来ている。神は霊と真理をもってまことの礼拝する者を望んでおられるのです」と応えられました。女性はすぐに「わたしはメシアと呼ばれる救い主が来られることを知っています」と返事をしたところ、イエス様はその女性に、「あなたは今、そのメシアに今、会っているのです」と告白されたのです。彼女は今まで求めていた、真の神―主イエス・キリストに出会った瞬間でした。そして彼女はまったく新しい人となったのです。