礼拝
森崇
常盤台バプテスト教会 2023.5.14 主日礼拝 信仰の礎①「聖書って何ですか?」森崇牧師【テモテへの手紙Ⅱ 3章14~17節】(新共同訳 新約P.394)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ルカによる福音書 4章16~21節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生59番「父の神よ 汝がまこと」1.3節
献金感謝 司式者
聖書 テモテへの手紙 3章14~17節
特別賛美 「燃え立つ言葉も」
宣教 信仰の礎①「聖書って何ですか?」森崇牧師
祈祷
賛美 新生130番「永久なるみことば」1.3節
頌栄 新生672番「ものみなたたえよ(B)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- おはようございます。本日は母の日の礼拝を共にしています。母の日の起源はキリスト教会にあります。大好きだった亡き母を偲んで教会で記念の礼拝が起こされたことに起因しています。すべてのお母さんに対して「お疲れ様」ではなく「主にあってお仕えさま、ありがとう」を伝えたいと思います。
常盤台教会に牧師として赴任させて頂き、今回からしばらくの間「信仰告白」をテーマとしたメッセージをさせて頂きます。長かったこのコロナの期間を乗り越えて、常盤台教会に新しい風が起こされてきていると伺いました。この中で、教会が大切にしている信仰告白をともに学びつつ、主の御心に仕えていきましょう。
常盤台バプテスト教会信仰告白は十の項目からなっています。その初めが1.聖書の権威です。
1.聖書の権威。
聖書は神の感動によるもので、神の人類救済の聖意志を示し、われらの信仰と実践の唯一無二、完全にして真実なる標準たることを信ずる。
聖書は旧約聖書と新約聖書からなっています。長い年月の間、多くの人々がこの66巻の書物を書きました。これらの一つひとつは神の霊で満たされ、神の感動によって成っています。聖書は神の救いの意思を示し、神の造られた創造世界から終末の時に至るまで、私たちが主と共に歩むために存在しています。
このコロナの分断の時代の中で人々が孤独を抱え、自分の魂のあり方、どのように生きるべきかを求めて聖書を読まれる人が今この時に多く起こされているのではないかと感じています。「聖書とはなんですか?」と言う質問を投げかけられたら、私たちは一体どのように答えるのでしょうか。
「聖書とは何であるのか」その問いにわたしはやはりこう答えたいです。
聖書とは、生ける神の言葉であると。
聖書とは、私たちの人生に生きる力と導きを与える大切な指針であると。
聖書とは、神の思いが集まって、私たち一人ひとりに届けられた大切な書物であると。
聖書とは、生ける神の子、イエス・キリストと出会うための書物であると。
聖書とは、霊の導きを与え、霊の導きに従って歩むための書物であると。
本日読まれました聖書の言葉、第二テモテ3.15-17節においては、聖書の意義についてはっきりと私たちに三つの視点から語ります。「Being」(存在の受容)、「Knowing」(成長)、「Doing」(奉献)の視点からです。
「Being」存在の受容について、聖書は「イエス・キリストへの信仰を通して救い」を与えます。聖書はイエスさまのもとにあなたを招き、そのみ救いの中に招き入れるために存在します。
「Knowing」子どもは親に受け入れられ、地域社会や友人との関わりを通して知識を得、成長していくように、聖書もまた同じように「救いへと導く知恵」を与えます。これは存在の受容だけではなく、「対話」や「教え」を通して神の子とされた人々は成長するということです。
「Doing」奉献においては、神の子とされた私たちが地域社会にあって、神の国と神の義を顕すために生きていく、ということです。16節「聖書はすべて神の霊の導きの元に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです」
聖書はこのようにして、イエス・キリストの救いから、また神の子どもとしての成長、そして、神の義へと導くための書物として、私たちに尊く与えられています。私達は聖書を通し、主の救いと、また救いに導く知恵と、義へと導く訓練を頂きながら主の栄光を顕していきましょう。