礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2023.6.4 主日礼拝 実を結ぶ人生③「『無駄』ではない人生」友納靖史牧師【ガラテヤの信徒への手紙 2章1~10節】(新共同訳 新約P.343~344)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 コリントの信徒への手紙 一 15章58節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生548番「力強き主よ 導きたまえ」
献金感謝
聖書 ガラテヤの信徒への手紙 2章1~10節
主の晩餐式 「ひとつの聖霊」
宣教 実を結ぶ人生③「『無駄』ではない人生」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生493番「み子イエス 世人のため」1.2節
頌栄 新生673番「救い主 み子と」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- パウロにとって『啓示』とは第一に、ユダヤ教からキリストを信じる者へと導かれた過程の全てが「イエス・キリストによる啓示」だったと告白します(ガラ1:12)。更に彼は「エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした(2:2)」と、日々の生活で選択に悩む時、良き道へ導いてくださる主なる神への信頼と委託の告白でもありました。ダマスコ途上で復活のイエスと出会い、「イエスこそ救い主」と信じる者とされた喜びと証を携え、パウロは直ぐにでもエルサレムの教会を訪ねたいと願っていました。しかし迫害者サウロの姿を知る者達からの拒絶が激しく、アラビアに退き神の時を待ち、三年後遂にエルサレムに上ったのです(ガラ1:18-24/使徒9:26-29)。今日の箇所でパウロがエルサレムへ向かったのはその十四年後、「エルサレム会議」(使徒15章)の時でした。この会議の目的は、教会内を隔てる二つの対立を解決するためのものでした。一つは「イエスを信じ告白する信仰により、無条件で誰でも救われる」と、使徒や長老たち、教会の大多数が信じていた信仰理解です。もう一つは、パウロが「他の福音」(ガラ1:6)と呼んだもので「旧約より続くモーセの律法を遵守し(異邦人男性は割礼を受け)なければ、救われない」と信じる主張です。パウロは前者の立場に立ち、福音を大胆にユダヤ人にも異邦人にも喜びをもって宣べ伝えていました。ところが、後者に立つ人々が教会を混乱させたので、問題解決のためパウロは、エルサレム教会へと呼び出されたのです。正直パウロにとってそこへ向かうことは気の重い課題でした(使15章)。けれどもパウロは「エルサレムに上ったのは、啓示によるもの」と語り、“神がこの課題を用い「万事が益となるように働かれる」(ローマ8:28)と信じ、何事に対しても祈り、主の御心に従って決断し前向きに立ち向かう彼の信仰姿勢が証しされます。
確かにそう信じ告白するパウロですが、彼の内面では常に不安と恐れを抱いてたことが、「自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないか…(ガラ2:2)」との言葉から読み取れます。繰り返し周りから投げかけられる非難と迫害の言葉に彼の強い信仰も揺さぶられていたからです。ところがパウロは様々な困難と会議での議論を通され、より強い確信が与えられました。「救いは律法によらず」「キリストにある自由と福音の真理は揺るがず」「神は人を分け隔てなさらない」(2:3-6)と。そして教会全体が導かれた信仰の結論(着地点)「ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が主によって任され、パウロには割礼を受けていない人々に対する福音宣教が主に任されたと知った(2:7-9)ことに大いなる喜びと希望に満たされました。このように初代教会は、全世界ですべての人々に福音を伝え、バランスの取れた健全な教会へと人々を招き入れる道が整えられたのです。
私たちも「自分が今していることに意味があるのか(無駄になるのではないか)」と不安を覚えることはないでしょうか。パウロは、イエスの十字架の死を無駄だと思っていた自分さえも(ガラ2:21)、復活のイエスを信じる者へと変えられたことを振り返り、不安を覚える教会の兄弟姉妹に力強く語りました。「愛する者たち…こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っています(コリ一15:58)」。私たちもイエスの十字架と復活を信じる者へと聖霊の働きによって導かれた人生が無駄になることなく、永遠のいのちの世界へとつながっている平安と希望の中で歩み続けましょう。
「♪イエスがいるから明日は怖くない」
と賛美しつつ。