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礼拝
森崇

常盤台バプテスト教会 2023.7.9 主日礼拝 信仰の礎⑤「信仰者として歩みたいのですが」森崇牧師【ペトロの手紙 一 1章13~16節】(新共同訳 旧約P.429)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    マルコによる福音書 11章22~24節   司式者
祈祷                          司式者
賛美    新生354番「主のみ民よ」1~4節
献金感謝                     司式者
特別賛美  "Great are you"
聖書    ペトロの手紙 一 1章13~16節
特別賛美  70周年記念讃美歌 「礎」
宣教    信仰の礎⑤「信仰者として歩みたいのですが」森崇牧師
祈祷
賛美    新生519番「信仰こそわが旅路を」1~4節
頌栄    新生673番「救い主 み子と」
祝祷
後奏
宣教概要
 皆さんは「クリスチャンになる」ことをどのようなイメージでとらえられているでしょうか。聖書では「クリスチャン」とは自称ではなく、他称です。信仰者の生き方(生活/生き方/使命)を通して、この人は本当にクリスチャン=キリスト者だとそのように言われるのです。イエスさまを救い主として受け入れた人々、信仰者として歩む決断をした人々は「霊化」と「聖化」の道を歩むことになります。「霊化」とは神の子として生まれ変わること、「聖化」とは人間が神に近づいていくことです(4面信仰告白参照)。
 だからいつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。無知であった頃の欲望に引きずられることなく、従順な子となり(霊化)、召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となれ(聖化)。「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と書いてあるからです。(ペトロ1:13-16)
 イエス・キリストは人間として生まれ、同時に聖なるものとして歩まれました。おとめマリアにより聖霊によって生まれ、聖霊の満たしと導きの中で神の国の宣教に歩まれています。このイエスの十字架の死と復活の後、イエス様は40日間弟子たちと神の国の宣教と訓練の時を持たれ、「約束されたものを待ちなさい」と言われ昇天されました(ルカ24:49)。
エルサレムでの10日間の祈りの後、弟子たちに約束された聖霊が弟子たちに降ります(ペンテコステ、使徒2:4、2:33)。
聖霊とは信仰の喜びであり、信仰の炎、そして信仰の源泉です。聖霊とは「すべての人に霊を注ぐ」(2:17)ために存在します。
この聖霊の力を受け、満たされた人々は聖霊の喜びのうちに①礼拝を捧げ(神殿にて)②交わり、賛美、キリストの十字架を記念する集会とパン裂きを行い(各家庭にて)③神の国の宣教の拡大に仕えました。キリスト者は神殿礼拝、家庭集会、奉仕を通してその生き方を求めました(2:46-47)。
聖霊に満たされた人々の生活と共に、その心の在り方や生き方をも整えていきました。パウロは聖なる者とされた人々の心のありようを次のように語っています。「常に喜べ、絶えず祈れ、全て感謝せよ。/聖霊を消すな、預言を捨てるな、全て吟味せよ」と。キリスト者としての生き方を追い求めていく中で、イエス・キリストの再臨されるときには、何一つかけたところのないもの(聖なる者)として下さり、また必ずそうして下さる、と。(Ⅰテサロニケ5:16-24)
聖霊に満たされた人々には神の選びと使命があります。神が聖霊により人々を使命に遣わすのです。バルナバとパウロは外国人伝道のために遣わされますが、この導きは聖霊によるものだったと告げられています(使徒13:2)。
聖霊は教会と共にあり、行くのも行かないのも含めてすべての導きと決定を与えます(11:2,15:28,16:6)。
聖霊は特別な賜物を信仰者に与えます(19:6)。
聖霊は神の国の宣教を自分の喜びとさせてくださいます(20:23)。
聖霊は、一人ひとりに神の教会の世話をさせるよう、導かれます(20:28)。パウロはこのことを以下のように告げました。「聖霊は、神が御子の血によってご自分のもととなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです」
 キリストを信じる一人ひとりには聖霊が注がれます。それは私たちが礼拝を通して主と交わり、家庭や他の集会(繋がり)を通して隣人との関係を深め、互いに仕えあう関係性が与えられているのです。「神の教会の世話をする」ことが聖霊の望まれる生き方であり、互いに牧会的関係を持つために、わたしたちの教会は存在しています。