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礼拝
森崇

常盤台バプテスト教会 2023.8.13 主日礼拝 信仰の礎⑥「教会とはどんなところですか?」森崇牧師【ヨハネによる福音書 15章4~5節】(新共同訳 新約P.198)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    コロサイの信徒への手紙 3章15~17節   司式者
祈祷                            司式者
賛美    新生362番「主のみ名を伝えん ハレルヤ」1~3節
献金感謝                       司式者
聖書    ヨハネによる福音書 15章4~5節
特別賛美  70周年記念讃美歌「主イエスに出会い」
宣教    信仰の礎⑥「教会とはどんなところですか?」森崇牧師
祈祷
賛美    新生338番「よきおとずれを 語り伝えん」1~4節
頌栄    新生674番「父 み子 聖霊の」
祝祷
後奏
宣教概要
 常盤台バプテスト教会の信仰告白シリーズの6回目は「教会」です。
6.新約教会
キリスト教会は福音を信じてバプテスマを受けたる信者の自主的集会にして聖なる交わりをなし、礼典を守り、聖支配に従いキリストの言葉に示されたる賜与、権利、恩恵とにあずかる。新約聖書の役員は牧師と執事であり、その職能はテモテ書、テトス書が示す通りである。

教会とは、建物ではなく信徒の自主的集会です。キリストを信じる者たちが集まっているところ、それが教会です。この集いに連なることで、信仰の交わりがなされ、教会の大切な記念の儀式を守り、またキリストのみ言葉に従っていく時、共にその賜与(しよ)、権利、恩恵に与かります。賜与(しよ)とは自分より上の身分の方より賜る贈り物のことです。ここでは信仰をもってその生涯を走り終えるときに与えられる賞与のことです。

教会とは主に繋がり、信仰者として互いに連なりあう場です。そしてその霊的な恵みと祝福を多く実らせていく繋がりのことです。主イエスはこの関係のことを「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と言われました。

ここで強調される言葉は「繋がる/メノー」です。この「繋がり」は主イエスとの関係の中で三つのことを指しています。

①「み言葉に繋がる」(7節)。「あなたがたの内にいつもある」が「繋がり/メノー」です。
②イエス様の「弟子となる」(8節)。イエスのそのみ言葉に従いつつ、イエスを師として仰ぐ人生へと進むことです。
③イエス様の「愛のうちにとどまる」(9節)。「とどまる」という言葉もまた「繋がる/メノー」です。別訳では「わたしの愛の内にいなさい」。イエス様の愛の内にいることは「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(12節)と続きます。「愛される」存在から「愛する」存在となります。

教会の本質的役割は「み言葉に繋がること」「キリストの弟子となること」「キリストの愛に根差し、キリストの愛に生きる」ことです。このキリストに繋がる招きとして、どんな前提条件もなく、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と主イエスは宣言されています。

教会は後に「キリストのからだ」としてのイメージを持ちました。
「愛に根差して真理を語り、あらゆる面で頭であるキリストに向かって成長していきます。キリストにより、体全体はあらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結びあわされて、各々の部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられていくのです」(エフェソ4:15-16)

「キリストのからだ」としての教会は一人ひとりが与えられた役割を持ち、また節々が組み合わされ、一人ひとりの成長を通してキリストのからだなる教会は形成されると告げられます。それは、わたしたちが積極的に教会に関わることです。一人ひとりは信徒の交わりや聖書を読む中で霊的な成長を果たし、それぞれに与えられている賜物を神に人に用いていく生き方を通し、キリストのからだなる教会の繋がりと組み合わせの中で、互いを建て上げていく主体なのです。

教会として、互いを建て上げていくために必要なこととして聖書では四つのことが語られています。①「人を造り上げるのに役立つ言葉を語る」(エフェソ4:29)②「一人ひとりの信仰を造り上げるために賛美、教え、信仰の語り合いに励む」(Ⅰコリント14:26)、③「苦しみや悩み、喜びを共有できる人間関係を築く」(Ⅰコリント12:26)、④「悪い行いは愛をもって諭す」(マタイ18:15-17)です。これからがキリストにある人を建てあげ、ついてはまたキリストのからだとしての成長を促していくことに繋がっていきます。

「教会とはどんなところですか」と問われたとき、「教会とはまことのぶどうの木であるイエス様に等しく招かれており、またイエス様のからだの一つとしてその存在を尊ばれ、互いを建て上げていく場所です」と応え、また一人ひとりを主の繋がりの中に招いていきましょう。