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礼拝
森崇

常盤台バプテスト教会 2023.10.1 主日礼拝 信仰の礎⑨「この社会で信仰者として生きる」森崇牧師【マタイによる福音書 5章13~16節】(新共同訳 新約P.6-7)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    ヨハネによる福音書 1章11~14節     司式者
祈祷                       司式者
賛美    新生135番「愛するイエスよ」1~3節
献金感謝                     
聖書    マタイによる福音書 5章13~16節
特別賛美  
宣教    信仰の礎⑨「この社会で信仰者として生きる」森崇牧師
祈祷
賛美    「起きよ 光を放て」
主の晩餐式 讃美歌 新生414番「マラナタ」
頌栄    新生668番「みさかえあれ(A)」
祝祷
後奏
宣教概要
 前回の宣教(9/10)では主イエスこそ世界の創造の初めに「光あれ」と言われた光そのものであり、この始まりの日である日曜日を主の日と呼び、尊ぶ人々は「復活された主イエス・キリストこそわが人生の光」と告白して生きることを共に分かち合いました。
今回分かち合いたいことは、このまことの光である主イエス様から、「あなたがたこそは地の塩、世の光である」と告げられている、ということです。

イエス様の宣教活動が始まった時、人々は主イエスのみ言葉を求めて彼のところに集いました。この人々は土埃に塗れながら地上で貧しく困難な中を生きている人々でした(マタイ4:24)。これらの人々が大勢来た中で、イエス様はこの群衆を見て山に登られ、み言葉を告げられました。「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」(同5:3)との言葉から始まるイエス様のまなざしは、主を求めてきた地の民をしっかりと見据えながら話された言葉でした。

信仰告白シリーズの9回目は「教会と国家」です。私たちが地の塩、世の光としてどのようにこの社会に関わっていくべきか考えさせられます。
9.教会と国家
国の政府は神の定め給えるものにして、人間社会の安寧秩序のためなることを信じる故に、我らは、我らの良心の唯一の主にして王の王たるキリストのみ旨に反せざる限り、国家政府のために祈り、良心的にこれを敬しこれに従うべきものなることを信ずる。

信仰告白では、国や政府や社会の在り方は神さまの定めたものであり、基本的にはこれを敬い、従うべきであると告げています。しかし、これを治め導いて下さるのは「我らの良心の唯一の主にして、王の王である主イエス・キリスト」です。私たちの良い心の唯一の主とは、私たちに何が良いのか悪いのか、ひとつ一つのことがらを判断させて下さる唯一の主です。この方が、この地上のすべ治める王の王であるキリストのみ旨を実現させるべく世にあって働いておられます。それで、この世の支配者・権力者のためにも祈りましょう、と呼びかけられています。

わたしはこの信仰告白に同意し、なお加えたいことがあります。それは主イエスのまなざしが、常に弱くされた人、あるいは社会の周辺に追いやられた人々に向けられているように、同じように私たちもこの世界の中で、人々に希望の光をもたらすキリスト者になる、そしてそのことを主は求めておられることを信じるという言葉をなお加えたいと思います。

私たちの教会ではBeing[存在/帰属]、Knowing[知識/知恵]、Doing[奉仕/貢献]で人生を考えるときが多くあります。「世の光」として私たちが生きるとき、何よりもわたしの存在そのものが、―何があってもなくても―主に喜びとされていることが生きる勇気を与えます。子供が愛されて成長し、知恵を得ていくように、キリスト者も聖書を読み、祈り、み言葉を覚え、教え、分かち合うことでキリストの似姿としての光を得ていくことになります。与えられた人生の中で、幻と夢が与えられ、聖霊による賜物を贈られて、様々な形で神と人とに仕えるものとなります。この世の中にあって、私たちが信仰者として神に愛されているという部分をこそ強調することは、
世の競争社会の中にあって疲れた人、人生の暗闇の中にある方々の世の光を届けるということに繋がっていくのではないでしょうか。