礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2023.10.29 主日礼拝 実を結ぶ人生⑪「『柔和』こそ勝利への道」友納靖史牧師【ガラテヤの信徒への手紙 6章1~10節】(新共同訳 新約P.350)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 マタイによる福音書 5章2~5節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生15番「人の目には見えねども」1.2.3節
献金感謝
聖書 ガラテヤの信徒への手紙 6章1~10節
特別賛美 第一礼拝 ”主は我が羊飼い” 田湯美穂、平野範子
第二礼拝 ”主の光の中で生きる” 三成幸
宣教 実を結ぶ人生⑪「『柔和』こそ勝利への道」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生495番「主よ み手もて」1.3.4節
頌栄 新生668番「みさかえあれ(A)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「柔和(にゅうわ)な人々は、幸いである。その人たちは地を受け継ぐ(マタイ5:5)」。主イエスは「山上の垂訓」において宣言され、私たちを柔和 (優しく・忍耐強く・穏やかで謙虚)な者となるように招かれました。又、救い主として「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる(マタ11:29)」と、私たちに共に歩もうと呼びかけられたのです。柔和の反対語は「傲慢・短気・争い」であり、混乱と混沌の世界ではなく、安らぎ(平和)を世にもたらす同労者としてキリスト者を招かれています。
パウロはガラテヤ書において、律法を優先し福音とは異なる信仰の道を歩む者を激しく糾弾し続けます。しかしここに至り、穏やかな口調へと変化し、主が望まれる道を踏み外した人に対して、「万一だれかが不注意にも何かの罪に陥ったら…」と柔和な心で接し関わり、その人々を神の交わりの中へ共に引き戻そう…と勧めました。感情の起伏が激しい私たちはどのように「柔和な心」を得ることができるのでしょう。御霊の実として9つの最後二つに「柔和」「節制(セルフコントロール)」をパウロは記します(5:22-23)。これら御霊の実は決して人間の努力によらず、神の聖霊が注がれる時、私たちに与えられると告げ、最も大切な御霊の実「愛」と並び、パウロは特に“柔和さ”を「身につけよ(コロサイ3:12)」「追い求めよ(テモテ一6:11)」、祈れとここで告げたのです。
実はメシアとして来られた主イエスが十字架を担う直前、エルサレム入場される姿を全福音書はゼカリヤ書を引用し、「…見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく(口語訳:柔和であって)、ろばに乗って来る…(9:9)」と告げます。本来、権威ある王が用いるのは馬ですが、王の王、主の主である救い主が、のろく弱く、勇ましさのない“ろば”を用いたと。しかしその“柔和さ”が世界中に真の平和をもたらすと告げるのです。「わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ、大河から地の果てにまで及ぶ(9:10)」と。
ウクライナに加えイスラエルとパレスチナでの戦争が始まり、多くの人々の祈りと願いは真の紛争解決と平和をもたらすリーダーの到来に目が注がれています。世の終末に再臨の主イエス到来を私たちは待ち望む信仰ではなく、既に来られて共におられる主イエスといかにして共にこの世の苦悩を担い仕えるかが問われているのではないでしょうか。そのためにキリスト者が主イエスの真の福音に従い、御霊の実である「愛・喜び・平和・・・柔和・節制」を、自らの力ではなく、遜って平和と柔和の主なるイエスを礼拝し、聖霊なる神より注がれることを忍耐強く待ち望む信仰が必要とされています。「暴力の世界で柔和に生きる」(著スタンリー・ハワス他・日本キリスト教出版局)で訳者は中心的メッセージをこう要約しました。「『わたしに従いなさい』と呼びかけてくださる主イエス・キリストは、山上に留まることなく、分裂と痛みに満ちたこの世界を歩まれました。主に従うとは、主の痛みと希望が、わたしたちの痛みと希望になっていくことを願いながら、独りではなく、また、限られた仲間たちとでもなく、主が呼び集められた、多様な賜物を持つ人々と共に旅をしていくことなのです」。
「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、 剣で滅びる(マタイ26:52)」と語られた、柔和の主イエスの福音に耳を傾け、今こそ私たち全ての者にも柔和さを与えられ、世界に主イエスの福音を忍耐強く宣教し続ける働きに仕えて参りましょう。