礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2024.1.21 主日礼拝 何のために生きるのか③「あなたの人生を動かすもの」友納靖史牧師【イザヤ書 26章1~9節】(新共同訳 旧約P.1099)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 詩編 112篇1.6.7節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生3番「あがめまつれ うるわしき主」1.2.4節
献金感謝
聖書 イザヤ書 26章1~9節
特別賛美
宣教 何のために生きるのか③「あなたの人生を動かすもの」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生520番「人生の海のあらしに」1.2節
頌栄 新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「物事を成功させる原動力は、ねたみ(と嫉妬)であることを知りました・・・(伝道者の書 4:4:リビングバイブル)」と皮肉を交え、人間行動の原動力には、善き力とは異なる「罪責感・怒りと憤り・恐れと不安・物質的地位的充足への欲求・他者に受容されたいとの欲求・・・等があると聖書は警告します。人生を「車」に譬えるなら、運転者(ドライバー)がどのような性格・スキルを持ち、どこへ向かうかにより同乗者の人生も大きく左右されます。『目的に主導される人生(Purpose Driven Life)』とは、聖書全巻一貫し、主なる神に主導される人生を送る大切さと真理を言い表したものです。つまり主イエス・キリストによって罪を赦され、偉大な神の愛を知らされた私たちは、人生の様々な過去の傷や痛みという負の力に支配されることから解放されます。その生きる善き力の源(原動力)には次の二つあります。
第一に、『神より注がれる揺らぐことのない平安(シャローム)』です。預言者イザヤは、イスラエルの民が偶像礼拝などによる罪の故に、アッシリアとバビロンの捕囚となる黙示録的裁きを伝える使命を託されました。しかし今日の箇所には、いかなる困難が生じようとも、神に従う者は揺るぎない平安の中で生きる希望が宣言されます。なぜそのような生き方ができるのか。それは神に依り頼む者は、城壁と防塁に囲まれた堅固な都の中に逃げ込んでいかなる敵からも守られる姿に重ねられます(イザ26:1-3)。更に「どこまでも<いつまでも>主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩(26:4)」と語られ、旧約ではダニエル書以外記されない『復活への希望』がこの章後半に至るまで明示されます。インマヌエル預言(救い主誕生の預言)の箇所(イザ7:14)に並び、ここで「神に従う者の行く道は平らです。あなたは神に従う者の道をまっすぐにされる(26:7)」と告白され、後に救い主イエスが「わたしは道であり真理であり命である(ヨハ14:6)」と信じる者の生涯は永遠の命に至るとの約束が先取りされます。
第二に、人生の原動力が『神より与えられる使命(人生の目的)』とされるなら、喜びと平安は尽きることがありません。主イエスより弟子たちに与えられた大宣教命令(マタ28:18-20)「すべての民をわたしの弟子にしなさい」とあるのは、主の教会に集う人々の数が増えることが目的ではありません。主イエスの最大の願いと祈りとは“私たちが互いに愛し合うこと”でした。それは「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。・・・そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります(ヨハ17:21)」と語られた通りです。つまり、人生における様々な負の感情と悪の力に打ち勝つ善き力とは、私たちが主なる神の愛の城壁と防塁に囲まれた堅固な都にいつも住み、そしてこの世の戦いに痛み疲れた人々をこの神の救いの都に招きれたいと願う愛より生じるからです。
神が備えられた都とはいかなる時代にも揺らいで崩れず、破壊されることのない永遠の都です(イザ32:15-18,33:20)。私たち救われた者は、何かを「することdoing」に人生の目的があるのではありません。救いの都に招いて下さる主なる神を信頼し「共にあるbeing」喜びと平安に生かされることこそが全ての原動力となるなら、私たちは自ずと神の業(福音宣教)へ、身体も心も魂も動かされて生きる喜びを経験するのです。
「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう
(ヘブライ12:28)」。