礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2024.7.28 主日礼拝 人生を導く善き力22週目 キリストに似る①「クリスチャン=キリスト・バカ」友納靖史牧師【ローマの信徒への手紙 8章26~30節】(新共同訳 新約P.285)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 マタイによる福音書 7章13~14節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生521番「キリストには替えられません」
献金感謝
聖書 ローマの信徒への手紙 8章26~30節
特別賛美 「土の器」
宣教 人生を導く善き力22週目 キリストに似る①「クリスチャン=キリスト・バカ」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生514番「めぐみの主は」1.2.4.5節
頌栄 新生669番「みさかえあれ(B)]
祝祷
後奏 - 宣教概要
- イエスこそ“キリスト(油注がれた者)”‟主(キュリオス= ヤハウェ)”と信じ従う者は様々な名称で呼ばれてきました。直に招かれた人々は「弟子」、「わたしは道、真理、命です」と宣言された方を信じる人々は「この道に従う者(使9:2)」と。その後福音が急速に広まり、ステファノ殉教後の大迫害により、エルサレムに集う信者達が散らされ<ディアスポラ>します。逃れた町の一つアンティオキア(シリア北西)で、彼らは大胆に宣教し、バルナバとパウロ(サウロ)らも一年間滞在したことで聖書に記される最初の「教会:エクレシア」が誕生。その町で「弟子たちが初めてキリスト者<ギ語:クリスティアノス・クリスチャン>と呼ばれるようになった(使11:26)」たのです。これは群衆から“キリスト党員”“キリストのことばかり言っている”とバカ(アホ・オタク)呼ばわりされた「あだ名」です。しかし彼らはそう呼ばれることを甘んじて受け、喜んで福音を宣べ伝え続けました。
16世紀、カトリックの誤った聖書理解に抵抗(プロテスト)した人々を“プロテスタント”とバカ呼ばわりされますが、これも欧州全体に広まり、17世紀に至ると英国で政治と宗教の分離の重要性を強調する群れが“ピューリタン<清教徒>”と揶揄され、国教会から分離する宗教改革をなしたのです。その群れの一つに、幼児洗礼を否定し成人の浸礼(バプテスマ) にこだわった人々が、“バプテスト”(浸礼こそ大切と主張するバカな人)と呼ばれながらも徹底した宗教改革を行い、英国から信仰の自由を求めアメリカやヨーロッパ大陸へ散らされ、結果的に世界、この日本へもその信仰継承がなされ、私たちもそう呼ばれる者とされました。
「キリストに似る」…と考える時、主イエスの偉大な奇跡や不思議な業を同様に行えるようになることと勘違いする人もいます。けれども、聖霊に示された真理を貫くため、周りの誤解や屈辱を甘んじて受けても実践することが、キリストに似ることです。主は山上の説教で語られました。「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである・・・(マタ5:10-11)」。ステファノを迫害した張本人パウロは、復活の主と出会った後、主の語られた奥義を理解し、世で受ける苦しみや恥を乗り越える信仰の重要性をこう記します。「神の霊によって導かれる者は皆、神の子です。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする(聖)霊を受けた。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。・・・キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受ける(8:14-17)」と。そして今日の箇所へ続きます。
真実と真理を語り行動することを恐れて避け、天に備えられた栄冠を受ける以上に、地上で他者からの理解と賞賛を得ることを求めてしまう弱さを持ち合わせている私たち。この私たちの弱さを知っておられる主イエスは、聖霊を遣わされ(ヨハ福14:15-27)、「御子(イエス)の姿に似たもの」神の子として死から復活に者として相応しい者とされるため、聖霊なる神が共に日々うめき執り成して私たちのために祈っておられます(ロマ8:26-27)。十字架で私たちの罪をすべて担うために死なれたイエスは、人々にバカにされ唾を受けても救いを完成されました。このイエスを「このお方こそ私の救い主・キリストです」と恐れず告白する力は聖霊だけが与えられます。私たちのため十字架で死なれたお方を主と信じ、人生の全ての苦悩や弱さも「万事が益となるように共に働く」と徹底して信じる者は、これからもバカにされるかもしれません。しかしその時、共に喜びましょう。あの主イエスの約束(マタ5:10-12)を心から信じ、平安と希望とが注がれるからです。「・・・喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」。