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礼拝
森 崇

常盤台バプテスト教会 2024.10.6 主日礼拝 人生を導く善き力30週目 仕える喜び②「備えられた善き内奥」森 崇牧師【コリントの信徒への手紙 一 12章4~11節】(新共同訳 新約P.315~316)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                
招詞    ヨハネによる福音書 14章16~17節    司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生10番「主のみ名により」
献金感謝
主の晩餐式 新生414番「マラナタ」            
聖書    エフェソの信徒への手紙 2章7~10節
特別賛美  「主はわが飼い主」  聖歌隊
宣教    人生を導く善き力30週目 仕える喜び②「備えられた善き内奥」 森 崇牧師
祈祷
賛美    新生344番「聖なるみ霊よ」
頌栄    新生670番「主のみ名をほめまつれ」
祝祷
後奏
宣教概要
 あなたは神によって備えられた善き内奥(心の奥底にあるもの)を与えられています。私たちに備えられた善き内奥とは霊的賜物と心(情熱)です。
 霊的賜物とは、神からの特別な賜物です。預言者ヨエルはすべての人に注がれる霊を預言しました。「その後わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は幻を見る」(ヨエ3:1)この預言は主イエスの昇天後、聖霊降臨の出来事において弟子たち一人ひとりに与えられることで実現します。この出来事を通し、霊的賜物はキリストを信じる私たち一人ひとりに分け与えられています。
霊的賜物は同じ一つの聖霊なる神によって分け与えられるものです。霊的賜物は信仰共同体を守り、支え、育み、人を建て上げていくためになされます。霊的賜物の根幹であり、基礎は、「私たちの救いは主イエスにある」と告白することです。「聖霊によらなければ、だれもイエスは主であるとは言えないのです」とは、ただ信仰告白は聖霊による賜物であることを告げています。そして「イエスは主である」と告げるためにすべての賜物は与えられています。
 霊的賜物には様々な働きがあります。私たちは「神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を活かして互いに仕えなさい」(Ⅰペテ4:10)と言われます。各人に与えられた賜物を活かして互いに仕え合いますが、その対象は主に仕えます。そしてこの働きは私たちの働きではなく、神がすべての場合にすべてのことをなさっています。賜物は聖霊により与えられ、主イエスに仕え、すべての人の中に働く神により私たちはその栄光を顕します(Ⅰコリ 12:4-7)。
 霊的賜物とは教会と信仰者を建て上げるために一人ひとりに備えられた賜物です(賜物リストについてはロマ12:6-8,Ⅰコリ12:1-11,エフェ4:11-12を参照)。一人ひとりにはそれぞれ特別な働きと勤めのために備えられた賜物があり、すべての賜物を持っている人は存在しません。又、ひとつも神から備えられていないこともあり得ません。教会は一人では成り立ちません。集われる一人ひとりの霊的賜物が必要とされます。
霊的賜物は大きく分けて三つに分類することができます。
⓵語ることに関する賜物…み言葉を伝える働き(預言)やどのように生きるべきかの指針を示す働き(知恵や知識)、聖書の言葉を教える働きがあります。神との関係を深める「異言」もまた霊的賜物の一つですが、これを「解釈」する賜物も必要とされました。パウロはどのような賜物をも大事にするという姿勢を持ちつつ、すべては人を建て上げるためになされることを強調しました。
⓶行為に関する賜物…「病気を癒す力」「奇跡をおこなう力」あるいは奇跡をもたらす「信仰」があります。これは聖霊の力を実際に体験させる働きです。霊的賜物を私たちが行っていく際、すべてにおいてすべてを行う方、すなわち神がなされます。霊の働きとは、地上における神の働きのすべてのことです。
⓷魂の配慮と慈善の任務に関する賜物…「慰めと励まし」「施し」「慈善」「奉仕」など人の内面性に関わる牧会的配慮と共に、地域社会の困窮や課題の声を聞きつつ、働く賜物です。
 キリストを信じる一人ひとりに霊的賜物を備え、神が私たちに心を備えてくださいました。「心」とは私たちがしたいと思っていることや、一番大切に考えていることなど、わたしたちの動機の源となっている場所です。心とは情熱とも言い換えられます。自分が持つ強い関心領域の中で、これを主に仕えるために心を向けることを聖書では勧めています。「心を尽くし、魂を尽くして主に仕えるならば…」「今後はそれることなく主に付き従い、心を尽くして主に仕えなさい」「キリストのしもべとして心から神の御心を行い、人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい」(申11:13,Ⅰサム12:20,エフェ6:6-7)私たちに与えられている霊的賜物が何かを探し求めつつ、また同時に自分が何に関心がるのか、強い情熱をもって主に仕えることができるのか、探し求めつつ、仕える心を持っておられる一人ひとりを、主は喜んで待っておられます。