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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2024.10.20 主日礼拝 人生を導く善き力31週目 仕える喜び③「与えられた善き力」友納靖史牧師【コリントの信徒への手紙 二 1章3~7節】(新共同訳 新約P.325)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    コリントの信徒への手紙 一 12章23~27節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生131番「イエスのみことばは」
献金感謝
聖書    コリントの信徒への手紙 二 1章3~7節
特別賛美  「いかなる恵みぞ」聖歌隊女声
宣教    人生を導く善き力31週目 仕える喜び③「与えられた善き力」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生621番「われに従えとイエスは招く」
頌栄    新生670番「主のみ名をほめまつれ」
祝祷
後奏
宣教概要
 主なる神は一人ひとりに善き賜物(カリス)を与えられました(ペト一4:10)。その賜物を私たちは果たしてどれだけ用いているでしょうか。著者は本の中で聖書的賜物5つを挙げます。1.霊的賜物Spiritual Gift 2.心(情熱)Heart 3.能力(才能)Abilities 4.個性(パーソナリティー)Personality 5.経験(特に苦難の) Experience. 英語5つの頭文字をとりSHAPE(信仰と人生を形作る)ものを知って豊かに用いるように呼びかけます。日本語に並び変えると…「 こ ・ の ・ こ ・ だ(た) ・ け」でしょうか?
   (心(こころ)・能力(のうりょく)・個性(こせい)・賜物(たまもの)〈タラント〉・経験(けいけん))
つまり神は「この子だけ」にしかない賜物という力をそれぞれ与えておられるからです(エフェ2:10)。「私は神のオリジナルな良き作品(存在)だ」と自覚する時、主イエスの「タラントの譬え話(マタ25:14-30)」のように、五と二タラントを人と比べず恐れず用い、主人<神>より褒められた僕(しもべ)達のような喜びの人生を経験できます。
今日は特に「経験」について心に刻みます。パウロがコリント教会へ手紙を出したのは二通だけではなく、実はこの第二の手紙は四度目であったとされます。問題を抱える教会にそれまで三通も信仰的勧告を愛を込めて書き送りましたが、効果はありませんでした。一つの課題は教会員同士互いの存在を喜び合うのでなく、それぞれの賜物や奉仕の相違に優劣をつける雰囲気が教会に蔓延していたのです(コリ一12章他)。しかしパウロは希望を捨てず恐れずコリントの教会に関わり続け、遂にこの手紙を読んだ信徒たちが悔い改めと新たな選び取りをすることになったのです。
忍耐強く福音宣教の業に励むパウロのSHAPEがこの箇所でも明らかです。それがパウロと共に初代教会の人々が経験した、迫害や苦難の体験さえも単なる悲しみに終わらないと語ります。なぜなら人生の様々な苦難を通されることで、神より慰めを受けることができること。更にはそれを経験した者だからこそ、主の教会はキリストの十字架と復活の苦難を自らも共に担い、多くの人々を慰める働き(奉仕・人に仕える)が与えられ、尽きない希望の信仰が育まれるからです。
フランス(仏)のル・シェル・シャボン村は第二次世界大戦中、5000名を超えるユダヤ人難民を助けた村でとして数年前注目を集めました。16世紀の宗教改革により仏の人口20パーセントがプロテスタント(仏で「ユグノー」と呼ばれた)となりましたが、カトリックの大迫害により殺害、もしくは国外へ難民となり、残った信徒は潜伏生活を強いられたのです。実は戦争当時もその村全てがユグノーで、村の教会牧師のアンドレ・トロクメ夫妻や甥のダニエル達と共に村全体が自然とユダヤ人も他の難民をも分け隔てなく救助したのです。その理由を歴史から紐解くと、数世紀前からユグノーであったとの理由で迫害された苦悩を経験した彼らは、神の恵みに応えて人を助け慰め救助する信仰が育まれていたことが明らかにされました。
主イエスがこの世に来られた最大の理由。それは私たちと同じ人間となられ、同じ(いやそれ以上の最大の)試練と苦しみを経験され、人類全てを思いやり、慰め続ける救い主として今も私たちと共におられるためでした(ヘブライ4:15-16)。
これまでそれぞれの人生で経験した喜び、そして苦難さえも単なる不幸に終わらず、その経験が神の栄光と他者を慰め助ける力となること信じ、それぞれが、主なる神と人々の前に恐れずに神からの良き賜物を用いて歩みませんか。

「『経験』とは私に起きる“出来事”ではなく、
     それに対し、私が“どう関わったか”である」
       (文学者: オルダス・ハクスリー)

 そうです私たちも信仰告白や日々の祈りの最後は、希望の言葉で締めくくる力を、主イエスの十字架と復活の信仰を通して与えられています。
        心から主に感謝!