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『一粒の麦』と中村哲さん 【めぐみ333号 】

「平和を実現する人々は幸いである。その人は神の子と呼ばれる」マタイ福音書五章九節

常盤台バプテスト教会が創立70周年を迎えた2020年、後最大の危機ともされる新型コロナパンデミックが始まりました。この地に建てられたキリスト教会として、今こそ、生きる力となる希望の福音<心と魂のビタミン>をお届けすることを願い、季誌「めぐみ」(創刊1981年4月)の最新号をお届けします。   

バプテストの宣教師によって創立された(学法)西南学院(福岡市)が百周年を迎えた2016年。卒業生で医師の中村哲氏による『天、共に在り』と題する講演で「神から受ける使命、インスピレーションでもって行動せよ」(※1)と若者らに熱く語る姿は、内外で大きな反響がありました。それから僅か数年、悲劇の襲った2019年12月。アフガニスタンの地で『一粒の麦』として、地上での生涯を全うされたことは、今も多くの人々の記憶に残っています。(※1)西南学院のモットーは「西南よ、キリストに忠実なれ」(創設者C.K.ドージャー宣教師の遺言) 

中村哲医師(写真提供:ペシャワール会)

昆虫好きで野山を駆け回り、物静かで無口だった少年。その彼がノーベル平和賞候補の声が上がる程の働きを担うとは…と、当時を知る多くの方が口々に語り、早すぎる死は世界で今も悼まれています。平和を覚え祈るこの月、氏と中学の同級生で、友人代表として弔辞を読まれた和佐野健吾先生(西南学院小・中高校長を歴任)より戴いた資料、聴き取りを含め、メディアでは余り語られない氏の「人生を支えた力」の源泉を探ります。

中村哲兄の人生を支えた力とは、キリストとの出会い

第一に、中村哲兄(※2)人生を支えた力とは、キリストとの出会いです。
キリスト教主義学校は、礼拝こそ教育の大切な場と位置づけ、近隣の教会へ出席することを長年勧めており、そこで通い始めたのが香住ヶ丘バプテスト教会でした。遊ぶか寝ていたい日曜の朝。喜んで教会へ行く学生は珍しいなかで、彼は毎週熱心に通ったそうです。実はその頃の家庭状況を重ねると、高名な文学者で尊敬する伯父・火野葦平(享年52歳)が突然自死する出来事が起き、人生の生きる意味をこの年齢にして重く投げかけられました。

 そのような時、人間の罪を担うため生まれて歩まれたキリスト・イエスにある救いと福音の種は、彼の心と魂の奥深くに蒔かれ留まったことでしょう。そしてバプテスマ(浸礼:水に浸る洗礼)を中学3年生で自ら受ける決意をされたのです。人生の苦難や痛みを抱える者にこそ、「天(神は)、共にあり(おられる)」(※3)と、悲しみを慰めと希望へと変えてくださるキリストの福音に触れた喜びと平安が、その後の歩みからも読み解くことができます(※4)

(※2)キリストを信じてクリスチャンとなり、神の家族された証しとして互いに兄弟姉妹と呼ぶことがあり、兄<あに>と記載します (※3)マタイによる福音書1章23節 (※4)愛唱聖句は「汝の若き日に、汝の造り主を覚えよ(伝道の書12:1)」と紹介されている<西南学院発行誌>

 第二に、通い続けた教会での、全盲者・牧師との出会いです。若くして不慮の交通事故に遭って両目を失明し、苦悩を乗り越えて、神と他者に仕えて生きる藤井健児牧師との交流は、哲兄の将来を大きく変えていきます。自然生物好きな彼は農学部への進学を願っていましたが、父親は医学部への進学を強く押し、その狭間で葛藤しつつ、礼拝へ通い、平日にはよく牧師館も訪ねていました。

 心の悩みを、牧師と語り分かち合う中、「藤井先生のような人を救う医者になりたい」と明確な人生の目的を啓示され(神の計画と信じ)ます。その時より、迷わず医学の道へと進む決断をされ、日本キリスト教海外医療協力隊より派遣されパキスタンのペシャワールに赴任(1984年)し、その後の人生を賭するアフガニスタンへの道が備えられていったのです。

用水路建設で 60万人を救った

最後に触れたい、哲兄を常に支えた力の源は、人生の分岐点に立つ時、「イエスならどうされるだろうか」と考え、それに忠実に従おうとされた(※5)ことです。

 アフガニスタンへ赴任されたのは医師として各地の病院・無医村地区で医療活動を担うことでした。しかし、ある時はサンダル製造工場長(※6)、またある時は1600を超える井戸掘りの司令官、そして紛争で荒れ果てた畑に水を引くため、25キロ以上の用水路を掘る土木設計工事者…。 周りの反対をよそに、専門以外の働きを恐れず担っていかれたのです。

中村哲医師がアフガンに遺したもの(撮影・石山永一郎)

 神に遣わされた地で、人々の全人的健康を支えるため、また神が喜ばれることであれば、「どんなことでもする」(※7)との決意を持って…。このスピリット(精神)は、人間を救うため神が人となってまでも、地上に天より降り、共に苦悩を担われたイエスの愛に触れていたからです。キリスト者でありながら、イスラム寺院(モスク)を建てることに奔走する姿も、自らの信じる教えを押し付けるのでなく、まずその地域の人々と共生し、そこで仕える姿を見た方々が、いつの日にかキリストを知る日が来ることを願っておられたからに違いありません。

2008年3月シェイワ堰、取水門完成式典ー住民へ維持・管理が重要と説く中村医師(写真提供:ペシャワール会)

(※5)「我々を見ている神は常にある、人間がどうしたらよいのかということもご存じである」(西南学院百周年記念講演より)(※6)靴を持たない人々が素足で傷を負いハンセン病にならないようにと古タイヤをサンダルに加工(※7)コリントの信徒への手紙一9章23節

 「武器ではなく命の水をおくりたい」

・・と語り続けた中村哲兄(享年73歳)が凶弾に倒れ、召されたことは惜しまれてなりません。 しかし2021年8月、米軍が撤退し、タリバンによる政変によって混迷深める今こそ、かの地で兄が蒔いた愛と平和の種が意味を持ってくると信じます。なぜなら、アフガニスタンの方々は「カカ・ムラド(中村のおじさん)」と呼び、歌手さだ・まさしさん作詞作曲「ひと粒のむぎ」などを通してこれからも語り継がれ、その働きは国際NGO(ペシャワール会)によって継続されているからです。

「哲さんの命はどうなったのか?」との問い。それには、キリストが十字架の死で終わらず、復活されることを予告された「一粒の麦」の御言葉(※8)が重なってきます。

 そうです。 哲兄だけでなく、キリストにある永遠の命を信じ、それぞれの場で生かされる時、蒔かれた信仰・希望・愛の種は、芽生え育ち、朽ちることなく広がっていくからです。

ガンベリ沙漠の防砂林を背に、植樹担当者らと。(写真提供:ペシャワール会)

私たちは祈ります。

 「中村哲兄に続く、平和を実現する人がこの地でも育まれ、世界へと遣わされていきますように」。

 あなたの人生を支える、生きる力の源「聖書」を、ぜひ手にしてみられませんか。

常盤台バプテスト教会 主任牧師・友納靖史

(学校法人・バプテスト基望学園 常盤台めぐみ幼稚園 園長)

(※8)はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。

(ヨハネによる福音書十二章二四〜二五節)

 

ひと粒の麦 ~Moment~ さだまさし

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(c)日本聖書協会
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