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ライブ礼拝
友納 靖史

常盤台バプテスト教会 2021.7.4 主日礼拝 「悲嘆から希望の民へ⑥ み言葉に生きる」 友納靖史 牧師  【エレミヤ書7章1~11節(新共同訳 旧約 P.1188)】


礼拝出席カード


音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏           奏楽者
招詞           司式者
祈祷           司式者
賛美   134番 生命のみことば たえにくすし 1、2節 
聖書   エレミヤ書7章1~11節
主の晩餐を覚えての黙想   "ひとつの聖霊"      奏楽者
宣教   エレミヤ書講解説教シリーズ 
       悲嘆から希望の民へ⑥「み言葉に生きる」 牧師 友納靖史
祈祷
賛美    みことばに生きる 1、2節
     (バプテスト・ユースソングブックⅡ) 
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
2021年7月4日 週報巻頭言
悲嘆から希望の民へ⑥「み言葉に生きる」                 牧師 友納靖史

「『わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』 ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしてしまった」(マルコ11:17)。これは主イエスがエルサレムの神殿に入った時、神殿本来の目的から逸脱した行為を行っていた両替商の台や鳩を売る者たちの腰掛を「ひっくり返され」、その直後に人々に語られた教えです。イエスさまの「ちゃぶ台返し」と見えるこの行為は、心より神を礼拝しその御声(み言葉)に聴き従うために訪れるはずの場所が別の用途に用いられていたことへの“義憤(聖なる怒り)”から生じたのです。B.C.608年頃からエレミヤが神殿の門(この入口は男女を問わず全ての人が通れる)で語った神からの預言、「わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる(エレ7:11)」を念頭に置きイエスは語られました。
「主の言葉を聞け(シェマー)」とエレミヤは告げ、こう続けます。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、・・・お前たちの道と行いを正せ。そうすれば、わたしはお前たちをこの所に住まわせる。主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない・・・ (エレ7:2-4)」。ここには当時の神殿へ集う者のみならず、新約以後、キリストの教会へ集う人々が心に留めるべきメッセージが預言されます。つまり、正義を行うことを尊ぶ(エレ7:5-6…当時、蔑ろにされた外国人や孤児、寡婦を支える神の愛と恵みを実践する)生き方こそが、どのような奉げ物よりも神に喜ばれること。その神のみ旨に基づいて生きているか否かが問われる以上に、それを全て実践できない弱い私たちが、神殿(礼拝)に集う時、神のみ言葉とみ旨に触れ、立ち帰ることを神は望んでおられる。これが旧新聖書で終始一貫した神からの問いかけです。ダビデは自らの深い罪を悔い改めた時、同じ真理に目が開かれ告白しました。「神の求めるいけにえは 打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を 神よ、あなたは侮られません(詩51:18-19)」と。
とても慎重に語らねばなりませんが、今回COVID-19蔓延によって世界中がこれまで築いてきた様々な組織や活動、そして教会までもが「ひっくり返された」感覚になったのではないでしょうか。もし主イエスが、新型コロナ危機前の教会へ来られ、それまでの諸活動、私たちキリスト者の信仰姿勢を見られたとしたら、いったいどのような言葉や行動をとられたことでしょう…?!。今、ひっくり返された教会の姿を嘆く以上に、そこに秘められた主の声を聴き、悔い改め、立ち上がる時、新しい信仰・教会生活を選び取るチャンスが与えられていると信じます。
主イエスが商売人の台をひっくり返された時、神殿全体が騒然となりました。その時、ある人々は律法学者や祭司たちと同じように主イエスの行為に怒りを燃やし、主を殺そうと謀ります(マル11:18a)。その一方で、多くの人々は主イエスの教えに心打たれ(驚嘆し)、それまでの生き方を“自らひっくり返し”喜んで主のみ言葉に生きる決意に至ったのです(11:18b)。パウロの、自らの肉の欲望(自己承認や自己実現など)のために神殿(教会)に集う生き方から、主イエスの十字架と復活に示された神の義と恵みに従うため、たとえ自らは弱くても、(聖)霊に導かれつつ、喜び生きようとの語りかけ(ガラ5:16-26)が今、心に深く響きます。
「神のなさることはみな、時にかなって美しい」と信じるこの教会が、これまで積み重ねて来た行事・活動を元の同じ姿に戻すことではなく、この危機を乗り越え、私たちが再び集められた時、きっと主が本来の「キリストの教会・身体」として、主の求める礼拝(信仰)生活を選び直せる群れとされることを信じます。
主に栄光。