VIDEO

教会のビデオコーナー

  1. HOME
  2. 教会ビデオ
  3. 常盤台バプテスト教会 2021.8.8 主日礼拝 「先行する神の愛」渡部信 牧師 【ローマの信徒への手紙5章8~11節】

ライブ礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2021.8.8 主日礼拝 「先行する神の愛」渡部信 牧師 【ローマの信徒への手紙5章8~11節】


礼拝出席カード


音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏           奏楽者
招詞           司式者
祈祷           司式者
賛美  2番 来たれ全能の主 1、2節 
聖書  ローマの信徒への手紙5章8~11節  
特別賛美演奏  "我さえも愛したもう"      奏楽者
宣教  「先行する神の愛」 渡部 信牧師
祈祷
賛美  626番 主はいのちを与えませり 1、3節 
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
聖書には、「たとえ全世界を自分のものにしても、自分の命を失うとすれば、何の得があろうか。自分の命を愛する者はその命を失い、神のために自分の命を捨てる者は永遠の命を得る」そして「自分の十字架を負って、私に従って来なさい」と記されています。永遠の命に生きる、これがクリスチャンの生き方です。
キリスト教というのは、決して外国の宗教ではありません。日本人でもアフリカ人でも、アジア人でも、目に見えない全能の神様のイメージを私たちは心に抱くことができます。でももっと鮮明に具体的に私たちにその神様の本性を示し、教え諭し、自らの救いの「道しるべ」となってくださった方が、イスラエルのナザレ出身のイエスという方であり、誰でも、どこでもこの救い主ナザレのイエスを通して、全ての人は創造主なる神を礼拝し、神の国を見ることが可能なのです。実際に、最初にクリスチャンとなったのはユダヤ人ではなく、外国のギリシャ人、ローマ人でした。そして現在では、全世界の国々の人々があのナザレのイエスを救い主(メシヤ・キリスト)と信じて、クリスチャンになりました。
このことは旧約聖書のダニエル書2章36節に預言されています。今から3600年前バビロニア帝国のネブカドネツアル大王が、これからどういうことが世界に起きるのか思い悩み、その夜に見た夢の中で、金、銀、青銅、鉄、粘土で作られ大きな像が、一つの切り出された石によって砕かれ、こなごなになってしまいました。しかしその一つの石は、だんだん大きくなり全地を治める新しい国が起こされたという夢でした。それを預言者ダニエルは、夢の説き明かしでこう説明しています。「この切り出された一つの石とは、バビロニア帝国が滅びた後、ギリシャ帝国が起こされ、その後の帝国も滅びるけれども、永遠に滅びることのない神の国がこの小さな石によって起こされる。それは永遠に滅びない国、神の国であることを告げました。この予言はまさにその後、主イエス・キリストが人類の罪を贖うことによって目に見えない神の御国を打ち立て、その後のキリスト教会が滅びることなく今日に至るまで歴史の中で存続していることを預言したものでした。
私たちは、このナザレのイエスによって、目に見えない神の国がどういうものであるのかを新約聖書によって知ることができます。例えばヨハネ福音書には、神は愛です。神の御子イエス・キリストを私たちの罪を償うために十字架上で命を捨ててまで私たちを愛してくださったとか、私たちの存在は罪ある者にもかかわらず、イエス・キリストを犠牲に捧げるほどの大きな愛であったとか。神の愛は、神の義であると同時に神の恵みと救いであり、もしこの愛を信じるならば、全ての人々は救われる。ここにしか被造物なる人間には救いはないと言っているのです。旧約聖書には、「私のほかに神はない、私はその他に神があることを知らない。私こそあなたを救う神である」。つまりこの目に見えない神様以外に救いの道はないと言うのです。私たちは、この神に反抗し、離れようとしますが、帰るところはこの神の元に帰る以外に場所はありません。ローマ書に私たちがどんなに罪深いものであっても、汚れた者であっても、このイエスの罪を清める贖いの供え物となることによって、私たちは神の深い愛と恵みによってその罪が赦され、再び義とされ清いものとされ、神の元に帰るのです。
今日、このメッセージを聞かれて、そういう創造主なる神の愛の招きに応じて、聖書の教えにしたがってクリスチャンになりたいと思われる方はどうぞ信仰の決心をしてください。ここにしか解決方法はありません。実はこの神様は私たちが、この世で生を受けた時から、私たちの本当の生みの親であり、全能なる神であり、その時から私たちを愛してくださっていたのです。それは私たちの先回りした先行の恵み、神の私たちに対する絶対的な愛なのです。人生の生きている目的は、最後の死ではありません。私たちの人生の最後は、私たちの魂がその生みの親である創造主なる永遠の命に結ばれることです。