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ライブ礼拝
友納 靖史

常盤台バプテスト教会 2021.9.5 主日礼拝 悲嘆から希望の民へ⑪「神にきかれる祈り」友納 靖史 牧師 【エレミヤ書15章10~11、16~21節】


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏           奏楽者
招詞           司式者
祈祷           司式者
賛美  3番 あがめまつれ うるわしき主 1、2節 
聖書  エレミヤ書15章10~11、16~21節
主の晩餐を覚えての黙想  "ひとつの聖霊"      奏楽者
宣教  エレミヤ書講解説教シリーズ 
悲嘆から希望の民へ⑪「神にきかれる祈り」 牧師 友納靖史
祈祷
賛美  教団453番 聞けや愛の言葉 1、2節
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
14章に続き15章は、南ユダ王国の人々が神からの悔い改めの呼びかけに耳を傾けず、聞き従わなかった当然の結果としての罰(<疫病・剣(戦争)・飢え(飢餓と干ばつ)・捕囚>15:2)、特に「捕囚」に遭わず赦されることをエレミヤが神に執り成す対話と祈りです。エレミヤの切なる嘆願に対してさえ、神は裁きを下す決意を翻(ひるがえ)されませんでした。エレミヤは絶望の余り「ああ、わたしは災いだ。わが母よ、どうしてわたしを生んだのか・・・(15:10)」と口から溢れます。しかし神はエレミヤに、神の民が今ではなく時を経て救済されると約束されました。果たして主なる神は、私たちの祈りと願いとをどのように「きいて」くださるお方なのでしょうか。

 実践神学(全人的ケアの視点)から聖書を読み解くと興味深いことが分かります。その分野で日本第一人者・窪寺俊之牧師は「きく」という五つの漢字を取り上げ、神が私たちに関わってくださる姿、そして私たちも隣人にケアをする際に心がけるべき姿勢を説きます(『スピリチュアルケアと教会』※)。それを元に、二人の盲人が主イエスと出会い癒される出来事(マタイ20:29-34)を取り上げ神がどのように「きいて」くださるお方か探ります。主と弟子の一行がエリコの町を出た時、道ばたで(物乞いをしていた)目の見えない二人の人が、イエスが通られると聞いて、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんで下さい」と叫びます。その声を主は「①聞(き)かれhear」ます。側にいた群衆はその二人を叱り黙らせようとしますが、彼らが益々大声で主を求めて叫び、イエスはより注意深く彼らの声を「②聴(き)かれlisten」ました。そこで主は立ち止まり、二人を連れて来させ、「何をしてほしいのか」と彼らの願いを「③訊(き)かれask」ます。すると二人は「主よ、目を開けていただきたいのです」と答えます。こうしてイエスは深く憐れみ(ギ:スプランクニゾマイ)、目に触れられると彼らは直ちに見えるようになりました。これは彼らの嘆願に対し主が「④利(き)かれsensitivity(センスティブ・敏感になる)」(関わられ)たからです。何よりも主の癒しを受けた彼らは、ただ神の恵みを受けて終わる(去る)ことなく、主イエスに従い生きる決断、つまり「⑤効(き)いたeffect」(新生・神の前に立ち帰った)と証しされるのです。彼らの積年の祈りを主が「きかれ」、それもただ聞く・聴く・訊くで終わらず、主イエスによって救いが完成される関係がここにあります。ここにも神が我らの祈りを「きかれる」とは何か、その真意が開示されます。つまり主なる神は人間の願望をただ「きいて」(叶えて)くださる方でなく、時には私たちの願う通りではない結果が起きます。けれどもその時、神から離れることなく、神を信頼し神に訊き(祈り・尋ね求め)、御言葉に利く(<神の計画>に従う)こと。この信仰に立つ時、私たちの願いが効かれ(人生で最善がなされ)る喜びを経験するのです。

 神はエレミヤの願い通りにはなされず、彼は失意の時を過ごしました。しかし、人の理解を超えた神の決意に聞(聴)き従い、神から離れず訊き(ask尋ね)続け、神の言葉に利く(敏感な)信仰を保ち、最後まで主なる神に従った(効いた)のです。こうして、南ユダ王国がバビロン捕囚によって完全に国家が滅亡し滅び尽くされることにはならず、救済の「時」は、捕囚から約70年後に再び回復する希望の計画を神は与えてくださいました(エレ29:11)。エレミヤの涙の執り成しの祈りは最終的に神に全て「きかれ」たのです。

 私たちの苦悩と罪を取り去って頂くために願う祈りは、十字架の上で今も執り成し続けておられる主イエスによって「全てきかれ」ます。私たちも主イエスに祈り、そして信じ従う者とされましょう。

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです(ローマ:10:17)」



                     ※いのちのことば社発行