礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2022.2.6 主日 悲嘆から希望の民へ㉑「真偽が明らかにされる時」友納靖史牧師 【エレミヤ書28章1~9節】(新共同訳 旧約P.1228-1229)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 申命記32章1~6節 司式者
祈祷 司式者
賛美 104番 雨を降り注ぎ 1、2、4節
聖書 エレミヤ書28章1~9節
主の晩餐を覚えての黙想 "マラナタ"
宣教 悲嘆から希望の民へ㉑「真偽が明らかにされる時」牧師 友納靖史
祈祷
賛美 520番 人生の海のあらしに 1、3節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 2月11日は『建国記念の日』と制定されています。しかし先の戦争で「愛国心」という言葉を誤用し、理不尽な戦争に加担した反省に基づき日本の教会は、その日を『信教の自由を守る日』と呼び変えました。『愛国心』は英語でPatriotism“祖国愛”とNationalism“国益主義”と使い分けます。私たち日本で生まれたキリスト者も「祖国愛」は大事にしますが、「国益主義」という自国だけ優先し、権力者に盲従を強いる教育に対してはハッキリ『否/NO』と言える人を育む使命を帯びています。『信仰心』についても、聖書に基づく唯一の神と、隣人を愛する信仰は大いに深めたいのですが、キリスト教だけを優先し他宗教を排する信仰心は、キリストの示された神の教えとは異なり偽りだと、見抜ける健全な信仰を宣べ伝えるのが教会の使命です。新型コロナ危機を迎え、「神を信じるならウイルスには感染しない」と豪語し、他者を配慮せずマスクをしない権利を主張する米国など一部の自称キリスト者の姿をニュースで聞く時、胸が痛みます。昨年、世界バプテスト連盟の配信での世界大会では『全人的宣教Holistic Mission』の重要性が訴えられました。単に神を信じる信仰があれば、他はどうでも良いかのような自己欺瞞的生き方でなく、神と隣人の前に謙虚となり、身体的、精神的、社会的、自然環境への配慮も含め、バランスのとれた聖書信仰に立ち、「世の光・地の塩」として証しする重要性が再確認されました。
エレミヤ書に登場する三人の偽預言者の一人がハナンヤです。神の真の預言者エレミヤが彼と神殿で対決したこの日(28章)から遡ること3年前の紀元前597年、最初のバビロン捕囚によってユダの王エコンヤは連れ去られていました。偽預言者ハナンヤは、この王とその際神殿から持ち去られた祭具が2年に内に返還されると預言します(28:2-4)。これはエレミヤがそれまで語ってきた、神の裁きによって70年の間、神の民が捕囚となり、悔い改める時だと告げていた預言と異なるものでした。当時の人々は、南ユダ王国への愛国心、つまり国益主義という政治思想によって真の信仰が覆い隠され、真の預言者が何度呼びかけても、耳を傾けられなくなっていました。エレミヤは偽の預言者と対決する際、かつてエリヤがバアルの預言者たちと対決し、祭壇に神の火が注がれるような激しさではなく、『冷静さ』という信仰の武具のみを用いて戦います。つまり、ハナンヤの偽預言を聞いたエレミヤは、「アーメン、どうか(それが真実なら)主がその通りにしてくださるように…」と応えました。これは「その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない(申命18:22)」との御言葉を信じる者であったからこそ、彼は動揺せず淡々と偽預言者と対決する冷静さを保ったのです。
今もなお、この世界では、悪と偽りが大きく幅を利かせ、真実が封印され、悲しみと憤りの中で苦しむ人々が後を絶ちません。政治権力や忖度によって泣き寝入りせざるを得ない現状に失望し、無気力な若者が増えることを放置して良いのでしょうか?パウロはエレミヤが示した信仰に基づく冷静さの中でこう語ります。「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と(ローマ12:19)」。これは正に、主イエスが十字架の死から復活された神の力を信じ、裁き主として主イエスが再臨される約束を信じる信仰が与えられていたからです。今悲しみの中にある方々のため、私たちも声を上げ、寄り添い、真実を明らかにするため目を覚まして働くことは大切です(マル13:32-37)。しかしその行動の基は、「必ず主なる神が真偽を明らかにされる時が来る」と信じ、神御自身の手で下される最後の審判への信頼と信仰を深めることであることを心に刻みましょう。
「アーメン。主イエスよ、
来てください(黙示22:20)」