礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2023.11.5 主日礼拝 実を結ぶ人生⑫「十字架こそ、再生の力」友納靖史牧師【ガラテヤの信徒への手紙 6章11~18節】(新共同訳 新約P.350~351)(前半部分の招詞、祈祷、献金感謝の音声が入っておりません。申し訳ありません。)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
(前半部分の招詞、祈祷、献金感謝の音声が入っておりません。申し訳ありません。)- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 コリントの信徒への手紙 二 5章17節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生86番「輝く日を仰ぐとき」1.3節
献金感謝
主の晩餐式 「ひとつの聖霊」
聖書 ガラテヤの信徒への手紙 6章11~18節
宣教 実を結ぶ人生⑫「十字架こそ、再生の力」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生229番「十字架のもとは」1.2.3節
頌栄 新生668番「みさかえあれ(A)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- ガラテヤ地方の信徒達への手紙を書く際にパウロは視力や健康的問題もあり、弟子に口述筆記してもらいました。しかし手紙を終える6章を過ぎて、不揃いながら大きな字で自ら筆を執り、どうしても伝えたいことがあったのです。それは、主イエスの十字架を信仰の基(もとい)、土台にして歩んで欲しいと。なぜならイエスを信じる者となりながら、ユダヤ人キリスト者の多くが自らの信仰を律法に忠実であることで誇り、特に男はモーセの時代より続く割礼を受けることを異邦人キリスト者にも要求していたからです。そうではなく、ただキリストの十字架による尊い犠牲によって私たちは救われ、神の子とされていることを誇る信仰に立つようにと訴え手紙を終えるのです。
主イエス・キリストの十字架による犠牲と贖い、私たちの罪の身代わりとなってくださったと信じる信仰こそが「神の子」として新しく創造≪再生・新生≫されるとパウロは宣言しました。つまり天地創造の神の業と同じ偉大な神の御業(奇跡)が今生かされているキリスト者に及ぶと。聖書に登場するユダヤ人や異邦人だけでなく、日本人を含む国や文化などは異なる全ての者が、キリストの十字架を信じる信仰に立つ時、“神の子”“神の民”(霊的なイスラエルの民)とされる新しい創造(再生・新生)されるとの驚くべき真理が告げられるのです。それをパウロは「このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように(ガラ6:16)」と祝福し宣言しました。そうです、ユダヤ人も異邦人も私たち全ての者が「神のイスラエル」とされ、キリストが十字架で示された「平和と憐れみ」が全世界に及ぶことを願い、パウロは真の平和の実現方法を現代社会にも示します。神の民として選ばれたユダヤ人の存在を聖書的・歴史的に私たちは深く敬意を払います。ですが主なる神は今も、十字架で明確に示されたキリストの真理に従うか否か、また十字架を共に担って従うか否かを神の民に問われるのです。「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。‥‥あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい・・・(マタイ5:38-48)」。何と実行することの難しい教えでしょうか…。しかしここにしか真の平和の実現はないと、現代社会いやキリスト者に十字架の主は問われます。
祝祷の言葉(6:17)でしめくくる直前、パウロは「イエスの焼き印(ギ語:ステグマ・英語:ブランド)」を身に受けていると語りました。焼き印とは羊や家畜の所有者が自らのものであることを証明するため、身体から消えない明確な印です。但し焼き印を受ける時は苦痛が伴うように、主イエスの教えに従おうとする時(先のマタイ5:38以下のように・・・)、そこには苦痛(人生の苦悩)が伴うことがあるのです。パウロも多くの迫害・苦難を受ける時、主の十字架を担い、イエスの焼き印を身に受け、神の国に生きる者と(再)創造されたことを思い起して主イエスに従い続けたのです。
「地の塩・世の光」として“あなたがたの光を人々の前に輝かせよ”(マタイ5:13-14)と主イエスは命じられました。キリストにある真の福音を証しし、平和を実現することは、決して容易ではありません。ですが、驚くべき神の偉大な創造の力を信じ、ただ主の十字架を誇り、その福音の光りを掲げて、全ての人種と国民とを「神のイスラエル」とされる主イエスのビジョン(計画と幻)のため、共に仕えて参りましょう。