礼拝
森 崇
常盤台バプテスト教会 2024.11.17 主日礼拝 人生を導く善き力34週 仕える喜び⑥「主のしもべの心を持つ」森 崇牧師【フィリピの信徒への手紙 2章1~5節】(新共同訳 新約P.362~363)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 イザヤ書 49章4~6節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生575番「栄えのみ神よ」
献金感謝
聖書 フィリピの信徒への手紙 2章1~5節
特別賛美
宣教 人生を導く善き力34週 仕える喜び⑥「主のしもべの心を持つ」 森 崇牧師
祈祷
賛美 新生521番「キリストには替えられません」
頌栄 新生670番「主のみ名をほめまつれ」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」(文語訳フィリピ2:5)は私たちが神に人に仕えていく時の基本となる大切な言葉です。フィリピの信徒への手紙はパウロが獄中にいながらも口述筆記させた短い手紙であり、最初から最後まで朗読することが望まれる(短い)手紙です。パウロは獄中にいながらも、イエス・キリストにあってその苦しみや痛みに遭うこともキリストの姿に倣う者として喜びをもちつつ、勧めます。「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい」(4:4)この手紙には「喜び」が強調され「喜びの手紙」とも呼ばれましたが、フィリピの教会には問題がなかったわけではありませんでした。信仰を持つ共同体が迫害によって痛みつけられる出来事に遭遇し、なお、他からもたらされた思想による分断(3:2-3)や、不一致とも呼べる状態が発生していました。パウロはそこで一致をもたらすために、「キリスト・イエスの心を心とせよ」を中心として前後に二つのことを語りました。
一つは信仰共同体に対する勧めです。「キリストによる励まし/愛の慰め/霊による交わり」とは祝祷での「キリストの恵み(カリス)/神の愛(アガペー)、聖霊の交わり(コイノニア)」(Ⅱコリ13:13)に対応しています。「父・子・聖霊」の神が三つの位格を持ちつつ、ひとつであられるように、教会においてもひとつの思いを抱きなさいと勧められます。「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、想いを一つにし…」この「同じ思いとなる」ことは、へりくだり、互いに相手を自分よりも優れたものとし、自分のことだけではなく他者に注意を払って生きるように呼びかけます。これは目の前に置かれた相手よりも自らを低くして仕える姿勢を明確に持つということです。
「キリスト・イエスの心を心とする」ことはまさにキリストの生き方に倣うものでした。フィリピ2章6-11節は「キリスト讃歌」と呼ばれ、初代教会において朗唱された讃美歌です(詳細は10/27古川師宣教)。ここではイエスが徹底的に低きを取られたことが主題です。天にある方が地に向かって来られ、神であった方が人間となられ、絶対的な主権を持たれた方が仕えるしもべの姿となられました。神の御心を果たそうと徹底的に「へりくだって」(3,8節と同)死に至るまで従順であられた、しかも人間の根源的生の侮辱である十字架刑に至るまで!このイエスの完遂されたへりくだりの生き方を、神はご自身の喜びとされ、復活者としてイエスをよみがえらせ、あらゆる名にまさる名を与えられました。その名こそは「主」(ヘブライ語でヤハウェ、ギリシア語でキュリオス)でした。「主」こそはヘブライ語聖書(旧約)に現された生ける神の名であり、人格を持ち、あなたを治め救いへと導く唯一の神の名です。「イエス・キリストは主である」との告白は、イエスのへりくだりから復活、そしてまことの主の主、王の王として統治される再臨に至るまでの告白としてすべての人々に賛美されます。
「互いに相手を尊重し、仕えるしもべの姿を取る」とは、まさに人間イエスにおいて顕された生き方です。「へりくだり」は、時には自分を傷つけることにもなるでしょう。卑しめられ、涙を流すことになることになるでしょう。しかし、そのような主イエスの心をわが心とする時、主イエスが神により高くあげられたように、来るべき時に主のしもべである私たちは神の前できよく、そして完全なものとされます(1:10)。なぜならこのようにあるからです。「キリストは万物を支配下に置くことさえできる力によって、私たちの卑しい体を、ご自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるからです」(3;21、1:6参照)文語訳聖書ではキリストの形が我々の卑しい様を取ってくださったことをこのように告げます。「即ち彼は神のかたちにて居給いしが、神と等しくあることを固く保たんとは思わず、反(かえ)って己を空しうし、しもべのかたちをとりて人の如くなれり」(2:6-7)
主イエスが人間となってきてくださったクリスマスを前にして、私たちの日々の生き方がキリスト・イエスの心を心とし、またその先にある希望を頂きつつ、喜びを持って見据えつつ、主のしもべとして共に歩んで参りましょう。