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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2024.11.24 主日礼拝 人生を導く善き力35週目 仕える喜び⑦「弱さを誇る、神の恵み」友納靖史牧師【コリントの信徒への手紙 二 12章7~10節】(新共同訳 新約P.339~340)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    ローマの信徒への手紙 8章26~28節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生113番「わが魂たたえよ あまつみ神を(B)]
献金感謝
聖書    コリントの信徒への手紙 二 12章7~10節
特別賛美  ”神の恵み”
宣教    人生を導く善き力35週目 仕える喜び⑦「弱さを誇る、神の恵み」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生103番「望みも消えゆくまでに」
頌栄    新生670番「主のみ名をほめまつれ」
祝祷
後奏
宣教概要
 「神の栄光のため、神は人の長所だけでなく、人の弱ささえも用いられる」。この驚くべき真理が聖書に告げられます。主イエスの“山上の説教”で難解とされる「心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちの者である(マタイ5:3)」。この“心貧しい”とは、自分は何でも理解できると豪語し、他の考えを受け入る余地のない傲慢な思いに満たされた心と対比して主が語られたのです。聖書が語る“弱さ”の反対語は“強さ”でなく“傲慢さ”であり、時に“弱さ”は打ち砕かれた謙遜な心(イザ57:15)を育むものです。自らの存在を受容し感謝しつつ、偉大な神の前において、私たちは誰もが肉体的・情緒的・知的・霊的に不完全であり、弱さを抱えた者だと謙虚に認める空の器(心と霊)に聖霊と力が神より注がれます。
パウロは彼の弱さを“とげ”と呼び、最初それは“苦しみ”でしかありませんでした。諸説ありますが、パウロは癲癇てんかんを患っていたとされます。彼の手紙に一度も具体的事柄は触れられていませんので、人には知られたくない恥と感じ、終生秘めて歩んだようです。もしかしてその“とげ”とは、人に知られたら使徒職や福音宣教者として立つことが出来ないと思う事柄だったのか、とも…。
パウロはこの“とげ”の存在を疎ましく(サタンから送られた悪しき目的なのか?と)思っていました。しかしそれを罪や悪とは区別し、自分の力では変えられないもの(体質や性質?)だと、最終的に受容しました(コリ二12:7)。その思いに至るまで、彼は三度<完全に>取り去られ癒されることを真剣に祈ったのです。すると主イエスは「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ(12:9)」と語られました。二回“十分”と訳出される最初のギリシャ語は「足りる」で、後者は「終える・完了する・支払う」という意味があり、十字架上で主イエスの最後に発せられた「(これで人類の救いは)完了した」と同じ言葉を主イエスは語られました(ヨハ福13:30)。そうです、パウロの人生は(変えられない)弱さや病いが消え去ったら完全(完了)になるのでなく、与えられたままで神はその人を救い、神の器として用いられると告げられたのです。この“神の言ロゴス”にパウロは長年の苦悩が解消され、与えられた福音宣教の使命を恐れず果していく者とされました。「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇ります」と、課題多きコリント教会の信徒にもパウロと同じように神の恵みが注がれていることを分かち合いたかったのです。私たちも自らに与えられた“とげ”と、どう向かい合ったらよいのでしょうか。
「♪主われを愛す。主は強ければ、われ弱くとも恐れはあらじ…♫」は主イエスに贖われ救われたキリスト者の人生賛歌の一つです。若い時に自らの未熟さ、弱さ、不完全さに姿に涙することがあります。更に年を重ね、また突然心身がなえていく時、私たち自身と愛する家族・友らの姿を受け入れること、実に難しい人生の課題です。しかしその弱さゆえに、主なる神に祈り、隣人に謙虚に関わる者として自らを“心貧しき者”であると認め、ありのままの姿で神を賛美し礼拝する時、神の栄光がそれぞれの人生に現わされるに違いありません。こうして、すべての事が神に備えられた永遠の「神の国」へと至る人生の道程であると感謝する者とされ、パウロのこの信仰を私たち自身の告白とさせて頂けるのです。「それゆえ、どのような状況にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、 わたしたちは弱いときにこそ、強いからです」(12:10)。
アーメン!