礼拝
森 崇
常盤台バプテスト教会 2024.12.1 主日礼拝 「平和の種を共に蒔こう」森 崇牧師【イザヤ書 2章1-5節】(新共同訳 旧約P.1063)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ヨハネによる福音書 16章33節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生167番「天にはさかえ」
献金感謝
主の晩餐式 「マラナタ」
聖書 イザヤ書 2章1-5節
特別賛美 第一礼拝
「Sweet Little Jesus Boy(みどり子イエス)」
第二礼拝 「Your Merry Chrismas」
宣教 「平和の種を共に蒔こう」 森 崇牧師
祈祷
賛美 新生205番「まぶねの中」
頌栄 新生670番「主のみ名をほめまつれ」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- アドベント(待降節)に入り、今年は「平和」をテーマにイザヤ書から主のご降誕を待ち望みましょう。イザヤ書は南王国ユダがバビロン帝国に滅ぼされ、捕囚となる時期にアモツの子イザヤが書いたとされる預言書です。聖書は66巻(旧約39巻、新約27巻)ですが、この書は66章からなります。インマヌエル預言(7章)、御子イエス・キリストの誕生のメシア(油注がれた者の意)預言(9章,11章,42章,52章13-53章12節)があり、新約聖書での引用が極めて多い書物です。イザヤ書が新約聖書に与えた影響は極めて多大です。
イザヤ書の1章と2章は全体のプロローグです。1章では神を畏れることを忘れた南王国ユダの審判が語られます。表面上は神を敬う犠牲を捧げる生き方のつもりでしたが、神の目にはそれが重荷でした。「神を愛する」ことは「隣人を愛する」ことであり、その生き方は孤児ややもめ、寄留者といった社会的弱者を保護し、守ることを勧められました。神によって選ばれた神の民は「忠実(原語:アーマン)/公平(ミシュパト)/正義(ツェデク)」が宿る場でした(1:21)。神の民に望まれていた実りは「裁き(ミシュパト)と正義(ツェダカ)」(5:7)でした。これらのものは神の義(ツェデク)から生じ、人間を無条件で祝福され、愛される神の義を信じ/信頼する(アーマン)なかで人間に顕される神の義としての正義や裁きでした。
イザヤは神の義による社会的正義が人々により実現されることを幻に見つつ(1:1)、終わりの日に果たされる平和を幻に見ます(2:1)。平和(シャローム)とは単に戦いのない状態ではなく、神への信頼に満ち、社会的不条理が解決へと向かい、罪の縄目から、不自由さから解放され、神から愛された一人ひとりを大切にすることです。この終末の平和の幻は、イザヤだけでなく預言者ミカとも共有していました(ミカ書4:1-3)。預言者たちの共通の幻として、終末における平和は争いの終わりであり命を育み、共に育てることでした。「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」鋤と鎌とは農業の始まりと終わりであり、種まきと収穫です。平和への生き方は神のみ言葉と主の教えから出ます。「主の教え」(2:3)はイエス・キリストが人間となって来られた時、語られ、多くの人々が山に集ってその教えを聞くことになりました。「主の山」とはイエスのおられる場所のことです。山においてイエスは語られました。「平和を実現する者は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」「右の頬を打つ者には左の頬をも向けなさい」「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」「剣を取るものは剣で滅びる」(マタイ5:9,39,44,26:52)積極的な平和を実現するものとしての主の教えです。主の教えの積極的な実践は近年、黒人差別からの解放を求めて非暴力の抵抗運動をなしたM.L.キング牧師や、インド独立の父ガンジーにも見出されます。私たちに身近な所では、日本の戦前の間違った歩みを振り返りつつ、恒久平和と戦争の放棄を願い起草された日本国憲法前文があります。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」イザヤがみた終末の幻は、主イエスを通し、我々(国々と人々)の間で実現しつつあります。「万軍の主は正義(ミシュパト)のゆえに高くされ、聖なる神は恵みの御業(ツェダカ)の故にあがめられる」(5:16)とは私たちが実現する正義と恵みの御業によって神の名は大いにあがめられることとなります。
終末の平和の幻は唯一の神なる主を拝する礼拝の場(主の山)に国々から多くの人々が来て、「さぁその山に登ろう、行こう」と呼びかけます(2:3)。その声に応答して「主の民は来たれ、主の光の中を共に歩もう」(2:5)と呼びかけます。さぁキリストの民よ、主を待ち望む主の山に集いましょう!