礼拝
ケン・シゲマツ
常盤台バプテスト教会 2024.7.7 主日礼拝 「『恥』から解放され、本当の自分を生きる」ケン・シゲマツ牧師(カナダ・テンス教会 主任牧師)【エフェソの信徒への手紙 3章16~19節】(新共同訳 新約P.355)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
(第二礼拝前奏 「小さいかごに」エンジェリックリンガーズ)
招詞 ヘブライ人への手紙 12章1-2節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生21番「栄光と賛美を」
献金感謝
聖書 エフェソの信徒への手紙 3章16~19節
特別賛美 「愛なるお方」 聖歌隊
宣教 「『恥』から解放され、本当の自分を生きる」ケン・シゲマツ牧師(カナダ・テンス教会 主任牧師)
祈祷
特別賛美 第一礼拝「神の恵み」グレースアンサンブル
第二礼拝「We Trust 」井上夫妻
賛美 新生320番「輝いて生きる」
頌栄 新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 繰り返し見る悪夢があります。これから試験を受けようとしているのですが、なぜかその勉強を全くしておらず、ひどいストレスと不安を感じてしまいます。そのような夢が示していることは、潜在意識の中で自分は十分ではない、足りていないという恐れを持っているということです。聖書や現代の社会学者たちは、そのような恐れを恥と呼んでいます。
日本では、自分は十分でないと感じることが美徳だと勘違いしている人が多くいるとある日本人牧師から聞きました。謙遜は美徳ですが、自分は根本的に十分ではないと感じることは決して美徳ではありません。
恥には私たちを萎縮させて小さくしたり、反対に大きなことをして、自分を認めてもらおうとする特性があります。あるいは、過剰にいい人を演じ、人からよく見られるようとします。
私たち人間は誰からも目を止めてもらえないように感じていると、霊性の大家であるトーマス・マートンは言います。そのため、自分の業績や所有物、良いイメージという包帯で自分を覆うことによって、自分が特別な存在に見えるように、また人から気づいてもらえるようにしているのだ、と。しかし、自分の行いや持ち物、特定のイメージを作り上げることによって、自らのアイデンティティーを築き上げようとするとき、私たちは「偽りの自分」を生きていることになります。偽りの自分とは、人からの承認を得るために自分で勝手に作り上げたものであり、神が創造された「本当の自分」ではありません。
恥から解放されて、神のかたちに作られた本当の自分を生きるとは、どういうことでしょうか。頑張って自らの力で恥を克服することは困難です。最善の方法は神の愛を経験し、私たちの心を神の愛で満たすことです。
神の愛に目覚めるために、霊的習慣を持つことは大切です。神が無条件にあなたを愛していると言われても、私たちにとってそれを心から信じることがとても難しいからです。霊的習慣は、毎日の生活の中で神の愛をより受けやすい状態を作ってくれます。新刊『もう、自分を隠さない』では多くの霊的習慣を紹介していますが、今朝はその中から三つの霊的習慣についてお話しします。
神の愛に満たされる目的とは、ただ単に私たちがより健全なアイデンティティーを持ったり、喜びに満ちた幸せな人生を送るためだけではありません。私たちが神の愛を経験して、その愛で満たされることにより、まわりの人々と神の愛と恵みを分かち合う者となるためです。神の満ち溢れる豊かさにまで満たされて、私たちがキリストの手となり、足となり、顔となってこの世に仕えていくことができますように。