VIDEO

教会のビデオコーナー

  1. HOME
  2. 教会ビデオ
  3. 常盤台バプテスト教会 2024.8.18 主日礼拝 人生を導く善き力25週目 キリストに似る⑤「苦難の僕たちの信仰」森 崇牧師【ローマの信徒への手紙 8章28~29節】(新共同訳 新約P.285)

礼拝
森 崇

常盤台バプテスト教会 2024.8.18 主日礼拝 人生を導く善き力25週目 キリストに似る⑤「苦難の僕たちの信仰」森 崇牧師【ローマの信徒への手紙 8章28~29節】(新共同訳 新約P.285)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    ヨブ記 19章25~27節    司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生120番「主をたたえよ 力みつる主を」
献金感謝            
聖書    ローマの信徒への手紙 8章28~29節
特別賛美  「向日葵」
宣教    人生を導く善き力25週目 キリストに似る⑤「苦難の僕たちの信仰」 森 崇牧師
祈祷
賛美    新生552番「わたしが悩むときも」
頌栄    新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏
宣教概要
 私たちは、苦難を通してキリストの似姿へと整えられていきます。通常、苦難は誰でも受けたくないものです。しかし神は苦難を通して私たちの霊性を整えようとされます。聖書では、苦難を受けた神の僕たちは数多く登場します。しかし、どの人たちも、苦難の故に押しつぶされ、信仰を失ってしまった人はいません。むしろ苦難は試練として受け入れ耐え忍ぶ時に、金が精錬されていくように、神の前に栄光を顕すものとして整えられていくのです。主の兄弟ヤコブは試練によって信仰が試されるとき、忍耐が生じ、この忍耐によって「完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人」になり、「その人は…約束された命の冠を頂く」(ヤコ1:2-4,12)ことを告げます。試練は忍耐を生じ、神の救いと助けを待ち望む力となり、また神によって顧みられる歓喜の日を待ち望む力となります。
 創世記では夢を解く賜物を持つヨセフが兄弟たちからの不評を買い、エジプトに奴隷として売られます。彼の人生は試練の連続でした。主人の妻からの無実の罪で牢獄に入れられ、失意のどん底を再び経験します。しかし人生の最も大変な時に「主はヨセフと共におられ」(創39:2,21)ました。ヨセフ物語では主なる神の行動や言葉は語られませんが、それでも主はヨセフと共におられます。ヨセフはその後エジプトの宰相になりますが、そこにはかつてあった彼の傲慢さはありません。「神があなたの幸いについて告げられます」(創41:16)と語るように、ヨセフは自分の経験や視点で物事を解釈するのではなく、神からの視点に立って行動することができました。ヨセフは試練や苦難という環境の中で、この霊性は整えられていきました。神は私たちにも必要な試練をお与えになります。試練は「なぜこのような事が起こったのか」と問うこともできますが、むしろ、「神はこのことを通して何を教えようとされているのか」と問うことがより重要です。詩編にはヨセフの苦難に関して次のように語ります。「主は人々が彼を卑しめて足枷をはめ。首に鉄の枷をはめることを許された。主の仰せが彼を火で練り清め御言葉が実現するときまで」(詩105.18-19)
私たちに襲いかかる試練には、神の思いと配慮、そして恵みが同時に与えられています。神の計画が計り知れず、ただ苦難だけが見えるときがあります。しかし私たちは苦難が主からきているということを知るとき、神の視点から俯瞰的に見ることで、苦難の裏に隠された神の計画を知ることができるでしょう。
 私たちは苦難の僕たちの信仰に倣うことができます。ヨブは唯ひたすら自分の生きざまが神の前に正しいという確信をもって苦難の只中を歩み、ただ神が顕れて下さるのをひたすら待ち望みました(ヨブ19:25)エレミヤは神さまが私たちのために立てている計画は災いではなく、平和の計画であり将来と希望を与えるものであると告げました。(エレ29:11)イザヤは真の苦難の僕が顕れて、すべての痛みを彼が担ってくださると預言しました(イザ53:4-5)ダニエルは政治的陰謀によってライオンの穴に投げこまれても恐れることはありませんでした(ダニ6章)。イエス・キリストは十字架の道行きで不当な裁判に遭い、また殴られ、唾をかけられ、侮辱されてもその人を呪わず、ご自分にある神の受難(盃)としてこれを受けられました(マコ14:36)。このイエスの受難と神の計画への従順は三日目の復活の出来事へと繋がります。イエスの弟子たちはこの復活の出来事を「神がイエスを復活させられた」ものとして語り伝えます。苦難には必ず出口を備えて下さると。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に合わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます」(Ⅰコリ10:12)。
 苦難はキリストにある品性と霊性を私たちに備えます。それは御子イエスが苦しみによって従順を学ばれ、完全なものとなられたように、私たちも苦難を通して御子の姿に倣い、かつ似ていくのです。将来起こる救いや助けがあることを確信する忍耐の信仰も大切です。しかし、今経験しているすべての苦しみの中に、受難の主イエスが共におられ、御子が共に苦しんでくださっている、主が私たちの受難に伴われる内在信仰もまた、私たちの苦難の時を支えるのではないでしょうか。