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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2025.4.6 主日礼拝 「受難週前夜、最後の説教」友納靖史牧師【ルカによる福音書19章11~27節】(新共同訳 新約P.146)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    ルカによる福音書 19章9~10節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生59番「父の神よ 汝がまこと」
主の祈り
献金感謝
主の晩餐式 賛美「ひとつの聖霊」
聖書    ルカによる福音書 19章11~27節
宣教    「受難週前夜、最後の説教」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生656番「きみの賜物と」
頌栄    新生673番「救い主 み子と」 
祝祷
後奏
宣教概要
 今年の受難週と復活祭に分かち合う御言葉はルカ福音書です。主イエスはエルサレム入場の直前、約25キロ離れたエリコの町で徴税人の頭であったザアカイのために時を捧げ、家に泊まります。その出会いがザアカイの人生を百八十度変え、驚くべき魂の救い・回心のドラマが展開しました(ルカ19:1-10)。実は今日の箇所、その同日同時刻に語られた主イエスの十字架の受難へ向かうエルサレム入場前夜に語られた最後の説教です。タラントンの譬え(マタイ25:14-30)とは少し異なる主イエスの熱い宣教の思いがこの「ムナの譬え」に秘められています。
ある立派な家柄の人<実は主イエスのこと>が王の位を受けて帰るため、遠くの国へ旅立つ設定でこの物語は始まります。彼は十人の僕しもべへ十ムナのお金をそれぞれ一ムナ(当時の100日分の給料)ずつ均等に配分。『わたしが帰ってくるまで、これで商売しなさい(19:13)』と命じ出かけました。遂に王の位を得て帰って来たこの人は託したムナをどう用いたかを僕三人に尋ねます。すると最初の僕は一ムナで十ムナ儲け、二番目の僕は一ムナで五ムナと答えました。最初の二人の僕にこの人は、それぞれが得たムナと同じ数の町の支配権を与えました。ところが三番目に登場する僕は、受け取った一ムナを布に包んで隠し持ったまま何もせず、その理由を、この王位を得た人の性格根性が悪かったからだと責任転嫁し、遂には最後の審判を受ける姿が描かれます。
福音記者ルカは、この譬え話をザアカイの救いの出来事の直後に主イエスが語られた理由を「…人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからだ」と説明しました。つまり、主を裏切ったイスカリオテのユダのように多くの人々はイエスがローマ帝国の支配下にある政治的圧政から解放する革命家だと勘違いしていたことに主イエスは心痛め、その誤解を解くためでもあったと告げるのです。この譬えで多くの国民がこの人<イエス>が王位を受ける<父なる神の御子・救い主「王の王・主の主」となる>ことに反対し憎んでいたと描かれ(19:14)、最後に三番目の僕が敵として撃ち殺される姿は衝撃です。しかしこれは主イエスが再臨の主として来られる時、神の愛と救いの手を拒んだ人たちへ最後の審判を下される姿を心に刻み悔い改める機会を与えようとされました。
エルサレムで十字架上での救いを完成される最後一週間の旅路が始まる直前に主はこの譬えは語られました。多くの人々が主イエスの真の姿を誤解する中、この譬えを通して弟子達と聞く者すべてに願っておられたことが、ザアカイ回心時に語られたこの言葉に込められています。「今日、救いがこの家を訪れた。…人の子は、失われたものを捜して救うために来た(19:9)」と。十人にそれぞれに等しく一ムナを与えられた理由。それは、神より託された一ムナ(救いと福音の喜び)を、自らだけが受け取り何もしないのではなく、そのムナを「商売しなさい:伝道・福音宣教には反対者も多くリスクが伴うが恐れず関われ」と主は命じられたのです。それに応じた最初の二人。十ムナを得た者には十の町を、五ムナ得た者には五つの町の「支配権(神の国に集められた人々を賢く治める)」ことを託すこの譬え。これは弟子たちにその後イエス・キリストの教会を形成し養い牧する姿を思い描いたからです。では十人中、他の七人はどうなったのでしょう?これは他七人の一人こそが私(たち)であり、主イエスはこう問うておられます。「では、あなたなら託されたムナをどうするのか?!」と。
常盤台教会は、新しいコイノニア(神と人々との十字架<縦横>の交わり)を形成し、拡大させていこうと願っています。取税人の頭と呼ばれ、神の救いから最も遠いとされ人々から疎外されたザアカイのような方の許にも主イエスと共に、主イエスは今でも皆さんに福音宣教を託しておられます。あなたに主が託されたムナ(福音と救いの宝)を、布に隠しておく(個人の救いで完結する)ことなく、伝道・奉仕・交わり、そして献金を通しても主と教会に仕え、世に出かけて関わり歩む信仰を育んで参りましょう。