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礼拝
森崇

常盤台バプテスト教会 2025.6.22 主日礼拝 ヨハネ福音書講解⑥「主が再び建て直すもの」森崇牧師【ヨハネによる福音書 2章13~25節】(新共同訳 新約P.166~167)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    コリントの信徒への手紙二 3章17~18節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生19番「くすしき主の愛」
主の祈り
献金感謝
聖書    ヨハネによる福音書 2章13~25節
特別賛美  新生433番「祈りさびら」
宣教    ヨハネ福音書講解⑥「主が再び建て直すもの」  森 崇牧師
祈祷
賛美    新生241番「この日イエスは復活された」
頌栄    新生673番「救い主 み子と」 
祝祷
後奏
宣教概要
 本日の聖書個所は「神殿から商人を追い出す」という有名な個所です。この時、神殿は世俗化し、ユダヤ教の宗教的指導者や商人らがむさぼり、利権を経ている状態でした。この状況に対してイエスさまは縄で鞭を造り、羊や牛を追い立て、両替人の金をまき散らし、台をひっくり返し、貧しい人々が捧げるために買われていた鳩売りたちに向かって「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない」と告げました。「このようなことをするからには、どんなしるし(権威の意)を私たちに見せるのか」とユダヤ人たちに問われます。イエスさまは答えます。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直して見せる」
この言葉は、第一には[古い旧体制の神殿礼拝の崩壊]を意味していました。ユダヤ教ではエルサレム神殿に参り、動物の犠牲をささげることで罪が赦されて神との関係性を清く持つことができる礼拝を行っていました。しかし、御子イエスさまが「世の罪を取り除く神の小羊」(1:29)としてこの世に来られ、ご自分を十字架上にてささげられました。これは神殿での供え物はもう必要がないということです。イエスさまが神の子として来られるとき、古い体制や礼拝の在り方は常に刷新されます。罪のために私たちが贖いの献げ物をするのではなく、「イエスこそ主である」との告白に生きるのです。「建て直す」とは直訳で「起こす」です。これは信仰が立つ、また信仰が起こされる!ということです。
第二には[イエスさまの復活]を指し示していました。「神殿」とは「イエスさまご自身」です。イエスさまは十字架に磔にされ、打倒され、死なれました。しかし、神はこのイエスを復活させました。打倒されて十字架に死なれるイエスさまは、「神によって再び起こされることになるだろう」とのイエスさまの父なる神に向かってのゆるぎない信頼です。主イエスが私たちの弱さや痛みや苦しみ、絶望を担われるだけではなく、復活者として私たちの人生を再び立たせることがおできになります。
第三には[神殿に代わって教会が起きる]ことです。ご自分の体とは、教会のことを指します。使徒パウロは、「聖霊の住まう体」として次のように述べています。「体は…主のためにあり、主は体のためにおられるのです。神は、主(イエス)を復活させ、また、その力によって私たちをも復活させてくださいます…あなたがたは自分の体がキリストの体の一部だとは知らないのですか…あなたがたの体は神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿です。…だから自分の体で神の栄光を顕しなさい。」(Ⅰコリ6:13-20)つまり、「この神殿を壊してみよ、三日目に立てる」との主の言葉は私たちの人生に新しく復活のいのちを与えます。それだけではなく、聖霊をお送り下さり、主と主の言葉を信じていきる信仰を起こし、またキリストの体なる教会に加えてくださるのです。一人ひとりはそのような復活信仰に生きるキリストの体なる教会共同体を建て上げ、また復活の希望と力を頂きつつ、それぞれの人生に神の栄光を顕していきます。
「あなたがたはキリストの体であり、一人ひとりはその部分です」(Ⅰコリ12:27)と使徒パウロは告げましたが、私たちもまた復活者キリストの体そのものとして生きていくことができます。
キリストの体として立ちあがる、再建されるということは、生きてどこかに出かけることです。主イエスを信じ、心から礼拝を捧げ、主イエスの体として食事や祈りの聖なる交わりをなし、喜んで献金と自分自身とをささげ、持てる賜物を用いて人々に仕え行く、主イエスは生きておられるとの福音を携え行きて、地の果てまでも、人生のいのちの限り。これが主イエスの建てられる生ける教会の姿です。そしてキリストの復活の教会として、聖書とイエスのみ言葉を大胆に信じ、行っていく教会として常盤台教会が大いに用いられることを心から祈っています。
           [聖書:聖書協会共同訳]