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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2025.9.7 主日礼拝 ヨハネ福音書講解⑬「死で終わらない命」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 5章19~30節】(新共同訳 新約P.172~173)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    ヨハネの手紙 一 5章20節 司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生134番「生命のみことば たえにくすし」
主の祈り
献金感謝
主の晩餐  新生賛美歌414番「マラナタ」
聖書    ヨハネによる福音書 5章19~30節
宣教    ヨハネ福音書講解⑬「死で終わらない命」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生554番「イエスに導かれ」
頌栄    新生674番「父 み子 聖霊の」
祝祷
後奏
宣教概要
 福音記者ヨハネは、ユダヤ人たちが主イエスを殺そうとした理由を記しました。その誘因は主が当時の律法では病人さえ治療することが禁じられていた安息日に病人を癒されたこと。しかし最大の原因は主が「神をご自分の父と呼んで、ご自身を神と等しい者とされた」ことだったと(ヨハ5:18)。今日、主イエスが語られた父なる神とご自身との人の理解を超えた関係性、又それを信じる者が預かる恵みの根底に流れるテーマを2つ分かち合います。
第一のテーマは「永遠の命」です。3つの共観福音書には、ある人(金持ち・青年・議員)が主イエスに尋ねた記事があります。「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか(マタ19:16)」。当時の人々は、永遠の命に対しても、善行を積むことで与えられる因果応報的信仰理解を持っており、主はそれに対し「わたしに従いなさい」と答え物語が完結します(マタ19:21/マル10:21/ルカ18:22)。しかしヨハネ福音書は「従う」とは「信じる」ことであり、それにより永遠の命を得ると明確に告げます。最も有名なのは「独り子を信じる者は一人も滅びないで、永遠の命を得る(3:16)」で、更に「はっきり言っておく(アーメン・アーメン)。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている(5:24)」と。つまり、救いとは人間の善行によらず、イエスを信じ、その方を遣わされた父なる神を信じること。それは神の全てを理解して信じるのではなく、まず信じて委ねることが、死に向かう人生ではなく、神と共に永遠に歩む命の始まりとなると宣言されたのです。
第二のテーマは「父と子とは一つである」と開示された『三位一体』の真理です。 福音記者ヨハネは所の冒頭で「…言(イエス)は神と共にあり、言は神であった(1:1)」、更に「いまだかって神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示された(1:18)」と宣言しました。この驚くべき真理を主ご自身が開示されたのが今日の箇所です。主の言葉を読むと一見矛盾しているように思えます。世の終わりに神の裁き(最後の審判)の真理が告げられる言葉が、22節には「父は裁かず、子が裁く」とあり、一方30節では「子は自分では何もできず、ただ父から聞くままに裁く」とあります。これは裁き主は父か、それとも子かの二者択一ではなく、両者が助け合い、神の正義を行われる信頼と愛の関係性が証しされました。主イエスはこの地上において常にご自分ではなく父なる神を見上げるように人々に語られ、その一方、父なる神は独り子なるイエスへの信頼と委託を徹底して示されたのです。何よりも今日の御言葉の中心は、24節(左記)です。私たちがこの地上に来られたイエスを信じ、その方を遣わされた天にある父なる神を信じる者へと聖霊なる神が導かれる時、“裁かれることなく、死から(永遠の)命へと移っている<完了形>”との驚くべき神の救いと恵みの宣言です。
去る日曜、天に召されたS兄の葬儀を千葉のご実家近くの一般斎場で執り行うため教会から12名の方々と遣わされて行きました。路上で突然倒れられ、78歳で地上の生涯を終えた兄の葬儀でしたが、残されたレクイエム(ご自分の葬儀で紹介する愛唱聖書と賛美等を事前に記した紙)からS兄が明確に永遠の命に生かされているとの信仰と希望を分かち合うひと時とされました。誰もが各々の人生で悔いや課題を多少なり抱え生きています。「果たして私(あの方)は永遠の命を得て神の許へ行くことが出来るのか…」と不安を覚えることもあるでしょう。しかし幸いなことに、主イエスがすべての者の罪を赦すため、十字架にかかり、復活されて死に勝利された神の愛をただ信じる時、「裁かれることなく、死から命へと移っている」と約束されました。死で終わらない命が与えられて生きる喜びと平安を、一人でも多くの方と共に預かるため、この驚くべき福音と命の種を蒔き続けましょう。