礼拝
森崇
常盤台バプテスト教会 2026.10.11. ヨハネ福音書講解(57)「あなたも復活しなさい」森崇牧師【ヨハネによる福音書 21章15~19節】(新共同訳 新約P.211~212)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 詩編 71篇15~19節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生399番「愛の誓い」
主の祈り
献金感謝
聖書 ヨハネによる福音書 21章15~19節
特別賛美
宣教 ヨハネ福音書講解(57)「あなたも復活しなさい」 森 崇牧師
祈祷
賛美 新生545番「岩なるイエスは」
頌栄 新生673番「救い主 み子と」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- ヨハネ福音書の最期は「わたしを愛しているか」という三度の問いです。これは弟子たちの代表であったシモン・ペトロが十字架の前夜にイエスを三度否んでしまったことからきています。この時ペトロは炭火を起こして火に当たっていましたが(18:18)、復活の主が用意された朝食にも炭火が起こされており(21:9)、十字架の前のペトロと、十字架の後のペトロの対比となっています。ペトロはかつて自分に絶対的な自信があり、「あなたのためなら命を捨てます」(13:37)と言いました。しかし主を三度否むことで主イエスに対する信仰は地に落ちました。しかし、ペトロが否んだ主は十字架の後に復活され、復活の主として彼の前に顕れます。復活された主は、ご自分の復活の命に与からせようと、三度「わたしを愛するか」と問われます。「愛する」とはイエスが十字架に至るまでご自分のいのちをかけて愛された無条件の愛です。この愛は、まずご自分を見捨てた彼に対して向けられています。「わたしを愛するか」という問いに隠れている言葉は、「わたしはあなたを愛している。あなたはわたしを愛するか」という問いでした。復活された主は彼に対しても、復活して歩んでほしいと願っています。主の三度目の問いに彼が「悲しくなった」とあるのは、まさに自分が三度「知らない」と言ってしまったことに対する後悔と悔い改めがそこに起こされたからです。復活の主の顕現は、彼を変えました。「私があなたを愛していることはあなたご自身がご存じです」とは、自分自身の愛の告白が、真実であるかどうかを主にゆだねる告白でした。それは、彼自身の心と言葉とが間違っている時に、あなたは正してくださるとの信頼であり、自分自身を主に委ねました。
ペトロの三度の否みは、私たちにとって大きな挫折や失敗、後悔を示しています。私たちが過去を振り返る時、「主など知らない」と否んでしまう私たちの姿があります。しかし主は否定的な出来事を十字架により主の救いへと変えてくださいます。成し遂げられたすべての者の救い、それが十字架の意味でした。「見よ世の罪を取り除く神の小羊」(1:29)との言葉は十字架のイエスの「成し遂げられた」(19:30)という言葉により実現しています。全ての罪を赦し洗う十字架のめぐみ。それには主の命の犠牲がありましたが、神はその十字架だけでなく、主イエスを復活させ、その栄光を顕されました。この復活者イエスを通して、「わたしの小羊を飼いなさい」と命じられます。これは主イエスを信じる人々の魂を養い、導くという牧会者としての新しい使命と役割です。この命令もまた、三度なされ、この命令が自分の人生すべてにおよんで献身するようにと、あるいはすべてのキリスト者が果たすべき務めとして委ねられています。ペトロはかつて、「あなたもあの人の弟子だね」(18:17,25)と呼びかけられて主を否みました。しかし「弟子」としてではなく、今やキリストが愛される羊の群れを牧するように、「牧会者」として彼を招くのです。
ペトロはその後、死に至るまで復活の主から託された使命に生きました。彼はペテロの手紙一で、自分自身に顕れた方が復活の主イエスであることを告白しつつ、イエスを信じる者が神の栄光を顕すために主イエス・キリストに倣うこと、また主イエスが「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(10:11)と言われた生き方に倣い、魂の牧会者となることを呼びかけます。「あなたがたに委ねられている、神の羊の群れを牧しなさい…神に従って、自ら進んで世話をしなさい…むしろ群れの模範になりなさい。そうすれば、大牧者(主イエス)がお見えになるとき、あなたがたはしぼむことのない栄冠を受けることが出来ます」(5:2-4)ヨハネ福音書は、私たちに主イエスへの献身を呼びかけます。主イエスにより救われた私たちが、復活の主に出会い、人生を主の牧会者として一人ひとりが用いられていくことを願います。神の栄光は、復活された主を信じ、「従いなさい」と呼びかけられる主に答える者の人生の内に働くのです。