礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2026.4.26 召天者記念礼拝 ヨハネ福音書講解㊲「神のもとに帰る前に」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 13章1~20節】(新共同訳 新約P.194~195)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 イザヤ書 25章7~10節 司式者
祈祷 司式者
賛美 賛美歌21 575番「球根の中には」
主の祈り
献金感謝
聖書 ヨハネによる福音書 13章1~20節
特別賛美 「神の恵み」 荒井三枝子
宣教 ヨハネ福音書講解㊲「神のもとに帰る前に」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生614番「主よ終わりまで」
頌栄 新生671番「ものみなたたえよ(A)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 四福音書中ヨハネ独自の記事で、主イエスの愛が具現化された出来事の一つです。主はご自身の『時』(父なる神の許へ帰る地上での別れ<十字架の死>)の迫りを感じ取り、残された大切な時間に愛する弟子達へ伝えておきたかったこと、それが「洗足」でした。当時の靴(サンダル)で外を歩き家に帰ると、裕福な家庭では奴隷が主人の埃まみれの足を洗い、一般家庭では妻や子どもが夫や父の足を洗う。つまり身分が低いとされる人々の仕事であった「洗足」を、『過越の祭』の食事の席に集まった弟子達一同を前に、何と師である主イエスがひざまずき洗い始めたのです。弟子は驚きつつも黙って見守っていましたが、ペトロだけは違いました。「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか?!」と言葉を発します。しかし、「その意味が今は分からないだろうが、後で分かる」と主は諭され対話が続きます。そして主が「もしあなたを洗わないなら、わたしと何のかかわりもないことになる」と言われた言葉にペトロは過剰な反応を示し、「主よ、足だけでなく、手も頭も」と。すると「既に身体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい…」と語られたのです。ここにも実に深い意味が込められていました。‟全身が清い”とは、イエスを救い主と信じ全身浸礼を受け、清められ「神の子」とされた者は完全に救われたとの宣言でした。しかし、誰でも外に出向けば、足が埃まみれになるように、家に入る前は常に洗い清める必要性を語ります。これは、弟子達(信じ救われた者)も福音宣教の業に外に出向いて携わる時、迫害や様々な課題に接し、埃や泥まみれになる時、弟子同士で洗い清め合う大切さを、先立って主は教えられたのです。ですからこう続けて言われました。「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである(14,15節)」。主イエスは既に大きなビジョンを描いておられました。父なる神の許へ帰られた後、弟子たちによって形づくられる世界へ広がっていくキリストの教会で、互いの過ちや課題を、埃まみれになった足を洗い流して清めるように、赦し、慰め、関り合う大切さを教えられたのです。