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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2026.5.24 ペンテコステ・教会創立記念礼拝 ヨハネ福音書講解㊶「聖霊の<を>、呼び名(な)」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 14章15~31節】(新共同訳 新約P.197~198)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏             
招詞    使徒言行録 2章17~21節  司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生104番「雨を降り注ぎ」
主の祈り
献金感謝
聖書    ヨハネによる福音書 14章15~31節
特別賛美 「ひとりがひとりに」聖歌隊
宣教    ヨハネ福音書講解㊶「聖霊の<を>、呼び名(な)」  友納靖史牧師
祈祷
賛美    新生261番「み霊なる聖き神」
頌栄    新生671番「ものみなたたえよ(A)」
祝祷
後奏
宣教概要
  祈る時、誰に呼びかけ祈っておられますか。主イエスはこの地上で歩まれた時、天におられる神を「父(アッバ)よ」と呼び祈ることを教えられました。初代教会時代、ステファノは迫害され石を投げられ殉教する際「主イエスよ、わたしの霊をお受けください(使7:59)」と呼びかけてイエスに祈り、息を引き取りました。そして今日の箇所で主イエスは、父なる神、そして子なる神であるご自身と共に、聖霊を人格的存在、正に三位一体の奥儀を宣言され、その方の呼び名とご性質を告げたのです。「パラクレートス(ギ語):弁護者・助け主・慰め主」(14:16)、「真理の霊」(14:17)、更に「すなわち父がわたしの名によってお遣わしなる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起させてくださる(ヨハ14:26)」と。このように聖書全体を読むと、三位一体、つまり神は、父・子・聖霊として三つの位格がありながらも唯一の神〈主なる神〉であると示されていますから、私たちが主なる神に対し、様々な名称で呼びかけ祈ることは御心に沿ったものです。
「神の霊」の存在は旧約聖書において天地創造の冒頭で証しされます。「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた(創1:2)」。ヨブもこう告白しました。「神の霊がわたしを造り、全能者の息吹がわたしに命を与えた(ヨブ33:4)」と。新約では、救い主イエスの誕生は、人間の営みによらず、神の霊(聖霊)によって母マリアは身ごもったこと(マタ1:18)。更にイエスがバプテスマを受ける時、「聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た(ルカ3:22)」と証言されます。そして十字架の死を前に聖霊(神の霊)の存在を弟子達に告げられた主イエスの言葉が今日の箇所と
16章でヨハネは詳細に記録しました。
聖霊はいつ主イエスに注がれ、そして私たちに聖霊はいつ注がれたのか、歴史的議論は尽きませんでした。ですが聖書全体と特に今日の主イエスの教えを紐解く時、神の霊(聖霊)は、誰か特別な人にだけ注がれるものではなく、求める者には、誰にでも注がれることが分かります。使徒言行録(「聖霊行伝」)を記したルカは福音書で主イエスが「求めなさい。そうすれば与えられる。…このように…天の父は求める者に聖霊を与えてくださる(ルカ11:9-13)」とあります。更に主イエスは、全ての人に神の霊が注がれていながら、私たち人間が気づいていないだけであると語られました。「世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかしあなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいる(14:17)」と。
ペンテコステとは、主の命令に従い祈り「別の助け主」を待っていた弟子たちに聖霊が注がれた出来事(使2:1-13)を覚え感謝する時です。私たちは、同じ事象(使2:1-4)が今も起きることを願い求めるのではなく、既に私たちがイエスを主と告白し、バプテスマを受け、弟子とされたことこそが聖霊が私たちの内に働いていたとの真理を感謝致しましょう。パウロが「聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えない(コリ一12:3)」と告白した通りです。
 76年前、常盤台教会が誕生した日、そこに集まり祈っていた群れは、皆一つの目的・使命<大宣教命令>を共有し、教会の歩みが始まりました。それは、この地から言語を越え、すべての人の許に「あなたは神に愛され生かされている」と神の霊に導かれ宣べ伝えること。そして、その方の内に神が共におられることを聖霊に導かれて信じ、救われ、永遠の命を得て主の弟子とされることでした。それは人の力や知恵によるのでなく、ただ主なる神を信頼し、その名を私たちが呼び、助けを求める時、昔も今も驚くべき神の御業が現わされることを信じる群れであったからです。
「主 (父・子・聖霊) の名を呼び求める者は
だれでも救われる (ロマ10:13) 」。
   アーメン。主よ、信じます。