礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2026.7.26 主日礼拝 ヨハネ福音書講解㊾「炭火の灯に照らされて」友納靖史牧師【ヨハネによる福音書 18章15~27節】(新共同訳 新約P.200~201)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 イザヤ書 30章15,18節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生486番「ああ主のひとみ」
主の祈り
《信仰告白》(第二礼拝)
献金感謝
《バプテスマ式》(第二礼拝) 新生401番「わが君イエスよ 罪の身は」1,2,4節
聖書 ヨハネによる福音書 18章15~27節
特別賛美
宣教 ヨハネ福音書講解㊺「悲しみが喜びに変わる人生」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生544番「ああ嬉しわが身も」
頌栄 新生672番「ものみなたたえよ(B)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 英語“enlighten”は「悟らせる・教え導く」と訳され、その語源は「光(light)を与える(en)」の意が含まれます。主イエスは世の光として人々の人生を照らし、御言葉によって教え導かれました。「放蕩息子のたとえ」(ルカ15:11~32)はその一つです。父の財産の半分を受け取って家を飛び出し、自由奔放に生きた末にすべてを失った弟息子。彼が悔い改め、新たな歩みを始めるきっかけとなったのは、ある日、はっと「我に返り」、父のもとへ帰り、「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」と悔い改めの言葉を口にしたと主は語られました。けれども実際には、弟子たちや私たちは、この弟息子のように、神と人との前で素直に、勇気をもって悔い改めを表すことは難しいのではないでしょうか。
バプテスト教会はバプテスマ(洗礼)の際、会衆の前で信仰告白をします。それは、神の光に照らされ、自らの弱さと罪を認め、救いの恵みにあずかるためです。ヨハネが後に記したとされる手紙の冒頭にも、神の光の中を歩む恵みが記されています。「…わたしたちが光の中を歩むなら、…御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。…」(ヨハネの手紙一 1:5-10)
ペトロが三度、主イエスを「知らない」と否認した後、主の予告どおり鶏が鳴く声を聞き、自らの過ちに気づいて涙を流したことは共観福音書すべてに記されています。ところがヨハネだけは異なる描き方をします。ペトロが涙を流したことには触れず、復活された主と再会した朝こそ、ペトロの真の回復の時であったと描いているのです。自責の念に駆られかつての漁師の仕事に戻ろうとしたペトロのため、主ご自身が炭火をおこし、食事を用意されました。ペトロが主を三度否認したあの夜と同じように、炭火の前という、思い出したくもない場面をあえて備えられたのです。その炭火のぬくもりの中で、主は三度、「あなたはわたしを愛するか」と尋ねられました。深い後悔を抱えていたペトロは、「はい。主よ。わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と三度答えます。かつて三度も主を否認したその口で、今度は三度、主への愛を言い表しました。この対話を通して、主イエスはペトロに赦しと癒しを与えられました。そこに、驚くほど深い神の愛が示されています。
実は四福音書のどこを読んでも、ペトロが主イエスに向かって直接「ごめんなさい」「赦してください」と語った箇所を見出せません。しかし主は、自らの弱さを知るペトロが主の召しに応え、後に主の教会を牧する働き人となることをご存知であり、その時を忍耐強く待っておられたのです。ペトロだけではありません。主は私たち人間の弱さを知り、心の奥にある真実な思いをご存じの救い主です。ペトロが炭火の灯に照らされたように、私たちも神の愛の光に照らされ、聖霊が働く時、私たちは悔い改め(人生の方向転換)をして、新たな一歩を踏み出せるように導いてくださいます。
本日、数名の兄弟姉妹が、主に導かれて信仰告白をされます。この日を迎えるまで、主がいつも共にいてくださり、愛の光をもって導いておられたか、その証をお聞きする時、胸が熱くされます。御言葉と愛の光によって私たちを日々新たにしてくださる主に、喜びと感謝をもって賛美と奉仕をささげ、共に歩み続けてまいりましょう。
「だから、キリストと結ばれる人は だれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、見よ、新しいものが生じた。」(コリ二5:17)