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礼拝
友納 靖史

常盤台バプテスト教会 2021.10.10 主日礼拝 悲嘆から希望の民へ⑭「神は巧みな陶工」友納 靖史 牧師 【エレミヤ書18章1~8節(新共同訳 旧約P.1210,1211)】


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                奏楽者
招詞  イザヤ書45章5~9節     司式者
祈祷                 司式者
賛美  125番 造られしものよ 1、4節 
聖書  エレミヤ書18章1~8節
特別賛美演奏  "土の器"     奏楽者
宣教  悲嘆から希望の民へ⑭「神は巧みな陶工」友納靖史牧師
祈祷
賛美  604番 主を仰ぎ見れば 1、4節 
献金感謝              司式者
祝祷
後奏
宣教概要
神がエレミヤに語られた神の計画は「抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは(新たに)建て、植えるため(1:10)」でした。干からびた心と魂、つまり神から離れた民の形骸化した信仰を壊し、新たな信仰と思いを得て、神の御前に再び心より礼拝する者へと作り変えることが神の計画です。その意味を理解するようにと神の用いられた譬えが陶工と粘土でした。日常生活に欠かせない便利な器を作るため、陶工は粘土を選び、それらを手でこねて形を整え、良き作品だけを窯で焼き、完成する。神はエレミヤにこの様子を見せるため、陶工(陶器師)がろくろ(当時は円盤二つを一本の棒と組み合わせ使用)を用い、「粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直す(18:4)」仕事ぶりを見学させました。主はエレミヤに語りかけます。「見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある(18:6)」と。つまり陶工は、彼の作った作品が気に入らなければ、それを崩して粘土に戻し、新たに作品を作り直す。それと同じように人間を創造れた神は、神の権威をもって人々を造り変えられるお方であることを神の民イスラエルは忘れている…と語られました。

19章では、窯で焼いて完成した陶器となってその壺が割れて砕かれたなら、もう元には戻せないことを神は神の民の心に刻もうとされます(19:10-11)。つまりそれは、粘土である間は“まだ間に合う”と、次世代への希望と警告でした。一度作られた粘土の器が崩されることは辛いですが、実は神の願う本来の姿とされるため、心砕かれ悔い改め(訓練され)、神の使命を担う“主の器”とされる。そのような生き方を全ての者に主なる神は計画しておられます(ロマ9:20-24)。

 主イエスの弟子が「なんと素晴らしい石や建物でしょう」と荘厳な神殿を見て驚嘆した時、主は返答されます。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない」と(マルコ13:1-2)。ここで主は、ヘロデ王の第二神殿(主の降誕15年程前に完成)がローマ帝国によって破壊(A.D.70)される預言となりました。しかし主の言われた、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる(ヨハ3:19)」との神殿とは、十字架での死と三日目に神に墓より復活するご自身の身体とを重ねて語られたのです。何よりも主は、目に見える以上に、もっと大切な神の神殿とされる、御自身の身体なる“教会”を差しておられました。神の民・イスラエルの信仰の拠り所であった目に見える荘厳な神殿は破壊されても、イエスを主と信じる者(個々が“神の神殿”)の集い「キリストの教会」が全世界に新たに建てられる希望の福音を告げたのです。更に黙示録では、世の終わりに出現する永遠の都エルサレムの幻を見たヨハネはこう記します。「わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである(ヨハ黙21:22)」と。

今、新型コロナという出来事を通して、世界にある主の教会の宣教諸活動が“抜き・壊され”たような感覚に陥って気持ちが落ち込むことはないでしょうか。しかし実は神が、新たに「植え、建てる」ご計画を持っておられると、大いなる希望が今日の御言葉から語られます。もしも常盤台教会が70年の間に築いてきた形骸化した信仰があるのであれば、主なる神の手に一人一人の信仰とこの教会を委ね、神の喜ばれない肉の心を砕いて頂き、悔い改めと共に、新たな時代に向けた福音宣教の業に仕える備えをさせて頂きましょう。

「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」(詩51:19)。