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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2021.8.1 主日礼拝 『悲嘆から希望の民へ⑧「まことの神とは」』友納 靖史 牧師 (エレミヤ書10章1-10節)


礼拝出席カード


音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏           奏楽者
招詞           司式者
祈祷           司式者
賛美  1番 聖なる 聖なる 聖なるかな 1、4節 
聖書  エレミヤ書10章1~10節
主の晩餐を覚えての黙想  "わが主よ ここに集い"      奏楽者
宣教  エレミヤ書講解説教シリーズ 
悲嘆から希望の民へ⑧「まことの神とは」 牧師 友納靖史
祈祷
賛美  73番 善き力に われ囲まれ 1、2節
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
エレミヤ書10章は「偶像とまことの神」と聖書編纂の過程でタイトルがつけられました。人間が自然の驚異の中で偉大な力や存在を探し求め、自然そのものや、目に見える形(偶像)として人間が刻んで崇拝する教えを“自然宗教”と呼びます。一方、人間を創造された神自らが、人間に示し関わられる存在を信じるものは “啓示宗教”と呼ばれてきました。キリスト教は後者で、神なるお方が、父(ヤハゥエ)・子(イエス)・聖霊なる神として御自身をこの世に自ら啓示されたからです。主なる神(三一の神)こそ「まこと(真理・真実・確かな・正しい)」神であると、聖書はその存在を告白します。
 エレミヤが預言者として神の言葉を伝えた時、ユダヤの社会は激動の中にあり、不安や恐れから、人々は強大な力を持つ近隣諸国で拝まれる手に触れ目に見える偶像の神々に心を惹かれていました。確かに金銀で装飾され、巧妙な木工細工が施された偶像には芸術的美しさがあります。しかしそこに“命”はなく「身動きせず、口も利けず、歩けず…(10:3-5)」「霊を持っていない(10:14)」ただの物体だとエレミヤは語ります。何よりも偉大な主なる神の存在を<本当に(まことに)>知って欲しいと、「主は真理(まこと)の神、命の神、永遠を支配する王」です(10:10)と告白し続けます。「まことの神」と詩編にも祈りの言葉として記されます。「まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください(31:6)」。正にこれは、自らの大事な霊を委ねられるお方、罪を取除く贖いを成し遂げられるお方は「まことの神」以外におられないとの告白です。主イエスは十字架の上で息を引き取られる際、この詩編を唱え、与えられた命、その霊を父なる神の御手に委ねました(ルカ23:46)。更に主は「永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです(ヨハ17:3)」と宣言され、永遠の命を与えられるのは、「(父なる)まことの神」と御子なる神・イエス御自身を同列に置き、かつその方以外に救いはないと啓示されたのです。
 「まことの神」こそ真理である、と信じ告白する時、私たちも神の「まこと(真理)」を受け、語り行う者へと新生する恵みに預かります。エレミヤはその体験を神の啓示を経験した時<エレミヤの召命(1:4-10)>以来、神のまこと(真理)を恐れず語る者とされました。「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っており、聖別し、諸国民の預言者として立てた…若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行って、わたしが命じることをすべて語れ(1:5-7)」。人々がエレミヤの声に耳を貸さず、苦しみ嘆き落ちこんでも、この神の啓示の言葉(揺らぐことのない真理)に支えられ、彼は常に使命に生きる回復力(レジリエンス)を注がれ、歩みました。主は私たちにも今、“生きる使命”を託しておられます。
 主イエスの口癖、いや何度も強調された大切な語り口調がありました。「はっきり言っておく(新共同訳)」≪「まことに<アーメン>、あなたがたに言います(新改訳)」≫は共観福音書で計54回、ヨハネ福音書では「まことに<アーメン>、まことに<アーメン>」と二重に語られる言葉が24回もあります。これは主イエスこそ「まことの神」として、私たち人間に神の真理を「本当に、本当に間違いなき、信じるに値する」と直接語りかけてくださったのです。
不安と恐れに覆われたこの時代ですが、今一度「まことの神」が啓示された数多くの真理に触れ、善き力を得ようではありませんか。「…あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる(ヨハネ16:20)」と、永遠の命にある復活の希望に生きる者としてくださるからです。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます(ヨハネ6:47)」。『アーメン』と私たちも心より告白し、歩みましょう。