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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2021.8.15 主日礼拝 『悲嘆から希望の民へ⑨「神の武具を身につけて」』友納 靖史 牧師 【エレミヤ書13章1~17節】


礼拝出席カード


音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏           奏楽者
招詞           司式者
祈祷           司式者
賛美  326番 ガリラヤの風 1、2、3節 
聖書  エレミヤ書13章1~17節  
特別賛美演奏  "受けよわが糧"      奏楽者
宣教  悲嘆から希望の民へ⑨「神の武具を身に着けて」 友納靖史牧師
祈祷
賛美  521番 キリストには替えられません 1、3節 
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
 主なる神はある日エレミヤに、驚くようなことを命令されました(13:1-7)。「麻の帯を腰に締め、ユーフラテス(の川)まで行き・・・その帯を岩の裂け目に隠せ」。彼は命じられた通りに行い、その後月日を経て、神は隠しておいた帯を取り出させ、確認させます。当然、帯は腐食し全く役に立たなくなっていました。エレミヤに神は、この無意味と思える比喩的体験を生かし、南ユダ王国の人々に意味ある神の教えを伝えるようにと願います。つまり、帯が本来の目的と異なる場所に置かれた時、腐れ朽ち果てたように、創造主から離れ偶像礼拝をし、滅びへと向かう(バビロニアに滅ぼされ捕囚民となろうしている南ユダ)民が、この譬えから学び、神が人間に与えられた本来の姿、つまり「神の立てられた平和の計画(29:11)」を担う者へと立ち帰るよう願われたのです。
 更に神は「ぶどう酒を入れるかめ」の対話を通し同じメッセージを語られます。神が「ぶどう酒のかめには、本来入れるべきぶどう酒を満たしておきなさい」と命じられても、傲慢にも民たちは「そんなことを我々が知らないとでも言うのか」と神に言い逆い従わない姿勢。エレミヤは、背いてもなお人間が悔い改めることを待ち望み続ける神の深い愛と痛みとを書き記し、「聞け、耳を傾けよ、高ぶるな。あなたたちの神、主に栄光を帰せよ・・・」と語ったのです。
ヨハネ福音書にイエス最初の奇跡とされる「カナの婚礼」(2:1-11)には、主なる神の言葉に耳を傾けず過ちを繰り返す人間の不従順を断ち切る道を開かれたことが証言されます。今日のエレミヤ書(13:12-14)の視点から読み解くと神の救いの計画が浮かび上がって来ます。この日主イエスは、婚宴の一客人として来た身でありながら、宴会で世話役らの不手際からぶどう酒が底を突き、困り果てた人々を助けることを母マリアに求められました。そこで身を清めるために置かれていた「水がめに水をいっぱい入れなさい」とその家の召し使い達に告げます。祝宴の裏で右往左往し忙しい彼らが、誰とも分からない一客人の無意味と思える命令に従うことは通常あり得ないことでしょう。しかしこの時、主の言葉に聞き従い「かめの縁まで水を満たした」人々がいたのです。そしてその従順な行動により、かめ一杯に満ちた水が何と極上のぶどう酒へと変えられ、婚宴は中断されず、祝福の宴が継続されました。福音記者ヨハネは、長く不従順であった神の民が救い主として来られたイエスに聞き従ったことで、全ての神の救いの奇跡がここに始まり、婚宴(聖書では神の民が天の国の宴会に招かれる神の約束の比喩)が地上に実現した宣言します。「イエスは、この最初のしるしを行って、その栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた」と(ヨハ2:11)。
 第二次大戦中、日本政府に逆らってまでビザ発給し、六千人のユダヤ人を救ったリトアニア日本大使・杉原千畝。その決断力の原点は「神は愛である」との御言葉にあったと由紀子夫人は証言しました。通過ビザで生存したV.G氏が「彼はヒーローになろうとしたのではない」と語ったように、杉原氏は目の前に置かれた世の苦難に苦悩し、ただ御言葉に聞き従った時、「平和を実現する人は幸い。その人は神の子と呼ばれる(マタイ5:9)」との主イエスの御言葉に生きる者とされたのです。 
「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つため、神の武具を身に着けなさい…真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい・・・(エフ6:10-17)」と語られます。いつの時代にも、愚かな争いを繰り返そうと企むこの世・悪魔の策略に抵抗できる最強の武具とは、真理なる神の御言葉を帯としていつも身にまとう(信頼し従う)ことです。神の武具となり私たちの魂を守り共に歩まれる救い主イエスを信じ従って参りましょう。

「信じられないことは、信じることから生まれる」
(ある会社のオリンピックTVCM)