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礼拝
友納 靖史

常盤台バプテスト教会 2021.8.29 主日礼拝 「悲嘆から希望の民へ⑩『魂の干ばつ』」友納 靖史 牧師 【エレミヤ書14章1~9,13節】


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏           奏楽者
招詞           司式者
祈祷           司式者
賛美  548番 力強き主よ 導きたまえ 1、2節 
聖書  エレミヤ書14章1~9、13節
特別賛美演奏  "神はその独子を賜うほどに"      奏楽者
宣教  悲嘆から希望の民へ⑩「魂の干ばつ」 友納靖史牧師
祈祷
賛美  368番 あまつ真清水 1、2節 
献金感謝         司式者
祝祷
後奏
宣教概要
「福岡大渇水」を高校時代に経験しました。学校や家庭の水道は止まり、井戸から汲むか、給水車から配給を受けるため長蛇の列に並ぶ日々。この体験は「『水』が蛇口から出ることは当たり前ではない」と心に刻むことになりました。旧約時代の人々にとって干ばつは、神からの祝福と幸いが絶える「神の裁き」による災い(三大災禍<剣・飢餓・疫病(14:12)>)と考え恐れられていました。南ユダ王国は北の列強バビロンと南のエジプトに挟まれ、国の存亡が危うい緊迫した状況にありながら、人々はこの危機に目を向けず、「平和がないのに、平和、平和」(8:11)と語る偽預言者に欺かれて過ごすことに甘んじていたのです。主なる神は何度も悔い改めの機会を与えますが、全く耳を傾けない神の民ユダに、遂に神は厳しい裁きを下す決意を固めます。迫りくる神の裁きを前にエレミヤは、民の為に熱心に神に執り成しました。「主よ、あなたは我々の中におられます。我々は御名によって呼ばれています。我々を見捨てないでください」(14:7-9)と。

「干ばつ」など人間の力が及ばない自然災害が起きると、人々は神に祈ります。通常は神の前に立ち帰って生活を悔い改めた民に、神は赦しの宣言をされ、裁きを撤回されました。けれどもこの時、神はエレミヤの執り成しにさえ応えないことを告げます(14:11-12)。回復の兆しも希望も絶えた状況において、神の預言者でありながら彼自身も神への信仰を失い倒れそうになる霊的飢餓・魂の干ばつを経験しのです(15:10他)。これは正に今、終わりが見えない新型コロナ危機の状況において私たちもエレミヤの思いと重ならないでしょうか。

 D.L.ムーディーという巡回伝道者がある日こう訊ねられました。「なぜあなたは何度も何度も、何度も聖霊に満たされる大切さを、繰り返し話されるのですか?」。すると彼はその方を見て答えました。「それはですね。『漏れていく』からですよ!」と。確かに私たちも御言葉に触れて感動し、主のご臨在を礼拝で感じ感激しても、時が経つうちに忘れ(漏れ)ていく者です。ですから、日常生活で身体に水や食料が常に欠かせないように、私たちの霊と魂に、御言葉と聖霊を充満させ続ける必要があります。

この世界が滅び、主イエスが再臨される日、イザヤの預言(55:1)である、「(魂が干からび)渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませる(ヨハ黙21:6,22:17)」ことが全ての人々の上に実現し、救いが完成する喜びが黙示録に記されます。けれどもその日を待たずして、イエスを救い主と信じ、日々、父・子・聖霊なる神との交わりを保ちつつ生きる者は、どのような状況にあって魂は命の水で潤されると主イエスは宣言されました。「その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる(ヨハネ7:37-38)」と。そのため私たちは、自分自身の信仰には穴が開き「漏れる」者であるからこそ、日々、聖霊の力に満たされ歩む者とされましょう。

 激動のアフガニスタン情勢が伝わる昨今。その地に遣わされた医師・中村哲兄が、干ばつの苦悩を経験する住民に「生きた水」を届けるため、奔走された姿には、生ける信仰の証しが秘められています (※本日発行・季誌「めぐみ」参照)。人間の罪・争いは、死と滅びに至る魂の干ばつを生み出します。しかし、絶望的に思える砂漠の大地さえも、キリストにある「和解と赦し」の泉から湧き溢れる命の水により、緑生い茂る永遠の命に至る大地へと変わる希望を私たちは信じる者です。今この時代にこそ、キリストにある希望の福音を携え、「魂の干ばつ」を身近で経験されている方々に尽きることのない命の水「福音」を届ける力を注いでください…と祈ります。

「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。」

        (ヨハネ4:14)