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礼拝
ローラ・フーシー

常盤台バプテスト教会 2022.3.13 主日礼拝 『神が選ぶ断食とはこれではないか』ローラ・フーシー宣教師 【イザヤ書58章1~12節】(新共同訳 新訳P.1156-1157)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。

礼拝プログラム
前奏                     
招詞  マタイによる福音書5章13~16節          司式者
祈祷                  司式者
賛美  15番 人の目には見えねども 1、2、4節 
聖書  イザヤ書58章1~12節
特別賛美  いざ皆来たりて        奏楽者
宣教  「神は選ぶ断食とはこれではないか」 ローラ・フーシー宣教師
祈祷
賛美  635番 わが命をば(A) 1、2、3節 
献金感謝                   司式者
祝祷
後奏
宣教概要
キリスト教会暦の中では、イザヤ書58章はレントという受難節によく読まれます。特に、ここは灰の水曜日というレントの最初の日に読まれる箇所です。今年、灰の水曜日は3月2日に守られますが、2日からイースターまでの40日間はキリスト教会では断食の時期に入ります。聖書でのユダヤ教とキリスト教会の歴史を見ますと、断食は悔い改めを表すことや知恵をいただくことなどの様々な目標や意味を持ったことがありますが、大切な点は、何かを止めることを通してイエスさまの受難をはじめ、神さまに心を向けることなのです。
 しかし、あるクリスチャン作家によれば、断食の目標は生活の中で心身共に適切な制限をするということだそうです。特に、現在では24時間営業のコンビニでも食事を買うことができ、いつでもどこでもネットショッピングができ、情報が溢れ過ぎるほど豊かな生活をしている私たちには、このような制限が必要となってきました。つまり、断食により、神の本来の意志にそって適切な制限がある生活に戻ることができ、改めて神さまに頼って信頼することが学べるという機会になります。
 ところが、豊かな社会でも、皆がそのような豊かな生活ができるわけではありません。現在の社会と同じように、58章の内容は社会的な不平等を示しています。特に、預言者のイザヤを通して神さまは断食を含めて主なる神を礼拝する人に対して話しかけられています。その人々は、自分の礼拝を通して神さまに認められたいのですが、苦難の中で虐げられた人々に対しては認めようとしません。そこで、神様はこの断食を習慣にしている人々を非難され、断食の意味を改めて定義されます。
 

58章での神の御言葉は直接でわかりやすいですが、聞き手や読者には受け取りにくいのではないでしょうか。日本語の聖書では58章の見出しは「神に従う道」となっておりますが、英語の聖書の見出しは次のように書かれております。それは、「偽礼拝と本当の礼拝」となっています。要するに、どのような祈り、断食、礼拝を行っても、または、神さまによく見せても、周りの人々の必要を認めなかったら、神さまにとってその礼拝は意味がありません。個人的にもキリスト教会にとっても、58章での御言葉は考えさせられるところです。私たちの主日礼拝はどのように社会に影響を与えますか。いろいろな課題について祈るとき、その祈りは私たちの心を変えて、周りの人々を助けるように導かれていますか。
 58章の断食という例えについて考えていきましょう。先にお話ししたように、もし断食の目標は自分の生活において適切な制限をすることなら、そしてイザヤ書によって、神さまの選ぶ断食は周りの人々を大切することなら、断食を通して自分自身を制限すれば、周りの人々を支える機会が多くなるかもしれません。すなわち、自分自身を制限すると、他者はもっと与えられるようになるという意味です。
 さて、どうすればいいでしょうか。まず一人一人の生活の中で周りの人々を支えるためにどのような制限が必要かを考え、決断することによって始まります。そして、キリスト教会としてどのようにしたらこのような行いに共に携われるかを祈って実践することで続いていきます。そして、不平等で不条理な制度の中で生活している私たちがどのようにこの制度を変えるかを考えるようになります。そして徐々に私たちの断食、私たちの礼拝は社会を変革し始めます。これこそ「本当の礼拝」、「神に従う道」、神さまが「選んだ断食」なのではないでしょうか。