礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2022.4.17 イースター礼拝 「イエスの言葉を思い出せ」友納靖史牧師 【ルカによる福音書 24章1-12節】(新共同訳 新約P.159~160)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ローマの信徒への手紙 6章3-7節 司式者
祈祷 司式者
賛美 241番「この日イエスは復活された」1・2節
聖書 ルカによる福音書 24章1-12節
特別賛美 「見よ、暗き夜は明け」
宣教 「イエスの言葉を思い出せ」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 493番「み子イエス 世人のため」1・3節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」と大声で叫び息を引き取られた主イエス(ルカ23:46)。その周りにたたずんでいた人々の中に、まず十字架上での主の言葉と行動を最も近くから見張る立場にあり、この時「本当にこの人は正しい人だった」と告白したローマの百人隊長がいました(23:47)。それから、総督ピラトの所へ出向き勇気を出して遺体の埋葬許可をとった議員ヨセフ。その彼の後について行き、誰もまだ葬られたことのない岩に掘った真っ新な墓にイエスの遺体が納められた様子を見届けたのが、イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちでした。彼女らは、主が葬られる前に香料と香油を主の亡骸に塗ることを願っていたはずです。しかしその日は金曜の夕刻(安息日の始まり)で、心を残しその場を立ち去りました。ですから週初めとなる日曜の明け方早く、急いで墓へと向かいます。すると、墓の入り口を塞いでいた大きな石が既に動かされ、中には主の遺体が見当たりません。途方に暮れる彼女らに、まばゆいほどに輝く衣を着た二人がこう語りかけました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ(24:5b-6a)」と。イエスは死んでしまったと思いこみ、その遺体のありかを慌てふためきながら探そうとする婦人たちの心を見抜いた神の使いらは更に言います。「まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか(:6b-7)」。これは、かつてイエスが福音を語った宣教地ガリラヤでの言葉(9:22,18:33)を思い出させることにより、彼女たちの「心の目」を開かせ、復活の証人として遣わそうとされたのです(24:44-48)。注目したいのは、神の御使いが「イエスがされた偉大な奇跡を思い出せ」とは言わず、「イエスの話された言葉を思い出せ」と語りかけたことです。「思い出す」(英語:remember, recall)は“覚えている・呼び覚ます”の意を含みます。つまり、超自然的な出来事を見るから人は救われるのでなく、イエスが語られた言葉 (ギ:プニューマ)を思い出すことで主を救い主(復活の主)と信じ告白する者へと変えられ、驚くべき神の力が働くと証言されています。
T兄が先週87歳の生涯を終え、御国へと帰られました。兄の敬愛した両親・祖母が無教会派に属していたので、その教えに基づき「自分はバプテスマを受けないが、神は信じる」と言い続けておられました。しかし82歳のある日、「凡て重荷を負い疲れたる者、我に来たれ我汝を休ません」(マタイ11:28)との主イエスの御言葉の意味を改めて理解し全てを委ねて、教義ではなく、主イエスの言葉そのものに従う決意をされました。その歩みは人目を避けてイエスに会いに行ったニコデモの姿と重なります。主が「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない(ヨハネ3:5)」との言葉は彼の心に蒔かれます。しかしそれから暫しの時を経て、主が十字架の死を遂げた時、遂に議員仲間のヨセフと共に埋葬に恐れず関わり、主イエスの仲間であると表明する者へと変えられのがニコデモでした(ヨハ19:39)。その姿とT兄の姿が重なります。
十字架に主と共につけられた犯罪人の一人が自らの罪を悔い、主に願いました。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と。すると主は「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(ルカ23:32-43)」と約束されたのです。私たちも主イエスを信じる信仰の告白をする時、主はそのことを決して忘れず(思い出して)御国へと導いてくださるお方です。私たちに与えられた天にある復活の希望は、主イエスの通られた十字架の『軌跡』にこそ、真の『奇跡』が秘められています。
主イエスは復活されました。
ハレルヤ!