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礼拝
渡部信

常盤台バプテスト教会 2022.4.3 主日礼拝 「十字架への歩み」渡部信牧師 【ルカによる福音書 18章31-34節】(新共同訳 新約P.145)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。

礼拝プログラム
前奏                     
招詞  イザヤ書 53章1-10節          司式者
祈祷                  司式者
賛美  326番 ガリラヤの風 1・2節
聖書  ルカによる福音書18章31~34節
主の晩餐式を覚えての黙想 「ひとつの聖霊」2・3節        奏楽者
宣教  「十字架への歩み」 渡部信牧師
祈祷
賛美  237番 カルバリにあらわれし 1・2節 
献金感謝                   司式者
祝祷
後奏
宣教概要
  次週の日曜日から教会の暦ではイエス・キリストが十字架への道を歩むまれたことを覚える受難週に入ります。4月15日金曜日に十字架上で死に、17日の日曜日に死より甦えられた復活日、イースターとなります。この十字架の意味を信じられないと、復活は信じられません。何故なら復活は、イエス・キリストが十字架にかかり、罪の力に勝利した出来事です。罪の力は最終的に滅びであり、死です。でも罪に勝利した者には、死は滅びでなく、終わりでもなく、新しい出発なのです。ですから、主イエス・キリストを神の御子と信じ、私たちのために死を滅ぼし、罪を全部贖ってくださった救い主であると信じることができるなら、私たちもその新しい命に与り、永遠の命が約束されているのです。

  普通、聖書の受難物語を読み、頭だけで理解していると、そこにある真理が薄れてイメージ化してしまいます。私は今まで、過去五、六回、イスラエルを訪れる機会がありました。何回、出かけても2、3日の訪問では、なかなか地理が頭に入りません。しかしながら、幾度となく訪問しますと、おおよその地理的な感覚が分かってきます。そうすると、聖書の話がとても現実味を帯びて来て、まだまだ回り切らない場所がたくさんありますので、さまざまな興味が湧いてきます。大体、新約聖書に書かれた地理は100キロメートルから200キロメートルの範囲に収まるぐらいの狭い場所です。関東地方をもう一回り大きくした範囲ですから、どこに山があって、海岸があって、ヨルダン川はどこで、そしてガリラヤ湖と死海はここという具合で、旧約聖書時代も重なります。新約聖書にはあまり死海は出て来ませんが、海抜下400メートル下がった地球上でも非常にユニークな場所です。海抜下400メートルのところにヨルダン川が流れているので、他より気圧は高く、酸素濃度が一番、濃いところではないかと思いました。

 そのイスラエルの国の中で、イエス・キリストが十字架にかかり、死んだ後、墓に葬られ、甦られた場所は、紀元400年ごろ特定され、そこに教会堂が立てられました。聖墳墓教会と呼ばれており、そこへ行きますと、実際に十字架上で血を流され落ちたと言われる石に触ることができ、弟子たちが亡くなったイエス様の体をきれいにし、お墓に納めたと言われる場所も教会堂内にあり、絶え間ない巡礼の信徒が必ず訪れる場所です。あまりにも教会堂の中の一か所に収められているので、ここがゴルゴタと呼ばれた場所なのか想像ができないほどです。観光用として、別な場所をゴルゴタの丘と呼んだり、納められたお墓はここだと紹介本にありますが、何ぶん、ユダヤ人がその地から追放された後、さまざまな民族が住み続けた場所で、イスラム教がその地を長年、占領していましたし、それを十字軍が取り戻したり、最近まではパレスチナ人の土地でした。イエス様が伝道されたのは2000年前のことですから、発掘すると地下から何重の遺跡が出て来て、未だに物事は定かではありません。それでも紀元400年ごろ確定した教会堂が一番信頼性が高いと信じられている訳です。神殿や、総督の家、城壁の門はそのまま残っていますので、このエルサレム市街のどこかであることは間違いありません。
 
 一番、感激することは、映画や絵画で見るのとは違い、聖書で記されたイエス・キリストが、本当にこの世に来て、このエルサレムの街の場所で、十字架にかかり血を流し死に、その遺体をお弟子さんたちがきれいに洗い、墓に葬ったという場面がリアルに体感できるということです。神の真理の道を説き、その真理をのべ伝えたゆえに、人々にあざけられ、ののしられ、軽蔑され、十字架に磔の死刑となるという出来事は、本当に悲しい出来事で、母親のマリヤやお弟子にとっては胸が裂けるような悲しみだったでしょう。巡礼者のために軽い木でできた十字架を実際にかついで、ゴルゴタの丘までの道のりを歩く信者さんに出会うこともできます。

 新約聖書によると、イエス様の受難は、突発な出来事ではなく、既に伝道生活の3年目前から、自分は、最後にエルサレムで人々に捕まり、迫害を受け、死ぬことを弟子たちに告げました。でも弟子たちにはその理由が分かりませんでした。もし、神の真理、正義を貫けば、それを良しとしないサタンの勢力が動き始め、その人を抹殺しようとする。これがこの世の罪の力なのです。アメリカのリンカーン大統領も、ケネディ大統領も、本気で正しい政治を行おうとすると、それを面白く思わない人がいる。黒人解放のキング牧師も、いつか自分は暗殺されると思いながら運動をしました。サタンの力は正義を信じる人が少数でおとなしい内は安心です。でもその人たちが本気になると歯をむき出し、その人物を抹殺しようとします。これが世の中の人々の心の内で画策される罪の力なのです。戦争を喜び、それで利益を得る人たちはいつでも背後で暗躍します。宣教の働きも拡大しようとすればするほど、サタンの力も働き始めます。イエス様はこの恐ろしい罪の力に対して自らの神の義を十字架上で啓示することによって、闇は光に勝つことはない、滅びの運命であることを実証されようと、自ら十字架の道を歩まれました。