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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2022.5.1 主日礼拝 悲嘆から希望の民㉕「神を呼べ」友納靖史牧師 【エレミヤ書 33章1~16節】(新共同訳 旧約P.1240~1241)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。

礼拝プログラム
前奏                     
招詞   イザヤ書 55章6~9節           司式者
祈祷                  司式者
賛美   新生86番「輝く日を仰ぐとき」1・3節
主の晩餐の黙想 新生414番「マラナタ」1・2節       
聖書   エレミヤ書 33章1~16節
特別賛美  “主をたづねもとめよ”
宣教   悲嘆から希望の民㉕「神を呼べ」 友納靖史牧師
祈祷
賛美  教団524番「イエス君、みすくいに」1・2・4節
献金感謝                    司式者
祝祷
後奏
宣教概要
山を登り山頂に到達し、眼下に広がる絶景を見下ろす時、「ヤッホ~」と叫んだことはありませんか。一節によると、ヘブライ語「ヤハウェ~(主よ)!」から由来しているそうです。大自然の美しさに感動し、叫び声を上げたくなるのは、造り主なる神より命の息(霊)を吹き入れられた私たちがそのお方を求める健全な魂の叫び声に違いありません。「いつ呼び求めても、近くにおられる我々の神、主のような神を持つ大いなる国民がどこにあるだろうか(申命4:7)」と、出エジプト後に荒野を通され、約束の地を目の前にした神の民にモーセが語りかけたように、かつては神との良き関係性が与えられていました。しかし時を経て、民らは神に背き、自分勝手な生き方を選び続ける中、バビロン捕囚と国の滅亡を通し、民らが悔い改め、神に立ち返って再生(新生)することを神は願い、今こそ「あなたは呼べ、神を」とエレミヤは語りかけます。
 この教会がこの二年間導かれた年間聖句(エレミヤ29:1)の直後、「そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる(29:12-14)」と神は語られます。主の呼びかけに耳を傾け、私たちの人生とこの世のあらゆる課題を主なる神が解決と道を開かれることを期待し、その言葉に従うとき、主なる神と出会い(神の驚くべき計画を体験し)、平安と喜びが与えられると。1990年代に用いられた信仰成長テキスト「神を体験するExperiencing God」で、モーセが燃え尽きない柴の中より神の声を聴く体験以上に、新約に生きる私たちは、日々の生活の中で神の導きに従い、主を信頼して委ねて生きるとき「生ける神と出会う」と語られた解き明かしは、私の心に深く刻まれました。  
 神の独り子イエスがこの世に人として受肉され、弟子と共に多くの人々が直接、イエスと出会っていきました。しかし、その出会いを経験した人々はその時、そのお方が旧約における主(ヤハウェ)なる神御自身と出会っていたとは気づいていませんでした。十字架への道、弟子達との別れが間近に迫っていたある日、弟子のフィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言いました。すると主イエスは「フィリポ。こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ(ヨハ福14:9)」と諭されます。それでも弟子たちがその意味を本当に理解したのは、イエスの復活の姿を見たこと以上に(マタ28:17)、聖霊が弟子たちに注がれた後でした。十字架のイエスと父なる神の関係性が聖霊によって悟らされたペトロたちの宣教を聞いた人々は続々と、真の悟りと救いに与る者とされました。「主の名を呼び求める者は皆、救われる」との約束通りに(使徒2:14-42)。
 南北に分断され戦争の危機と隣り合わせだった韓国教会の祈祷スタイルはバプテストも含め「主よ~!」と熱心に叫んで祈るのが特徴となっています。神学校卒業前、私が選び取ろうとする将来の道に不安を覚える中、私は一人祈るため渡韓し、その断食祈祷院で晩年の松村秀一先生にバッタリお会いしました。その時、驚きつつつい先生にこう尋ねていました。「先生、なぜここにいるのですか?」と。すると「私も(叫んで)祈らなければならないことがあるんだ」と穏やかに応えて下さったことを今も忘れられません。
 戦後最大の危機を迎えたと言われるこの時代。今こそ、方法はそれぞれ異なっても、私たちも主なる神に「叫び」、真剣に祈り求める時が来ているのではないでしょうか。「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ。近くにいますうちに」(イザ55:6)。呼び求めましょう、主を。主は必ずあなたに応えてくださいます。