礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2022.8.7 主日礼拝 驚くべきコイノニア(交わり)の力⑤「使命より生まれる」友納靖史牧師【フィリピの信徒への手紙 3章8~14節】(新共同訳 新約P.364~365)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 フィリピの信徒への手紙 4章4~7節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生73番「善き力にわれ囲まれ」1.2節
聖書 フィリピの信徒への手紙 3章8~14節
主の晩餐を覚えての黙想「ひとつの聖霊」2・3節
宣教 驚くべきコイノニア(交わり)の力⑤「使命より生まれる」 友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生614番「主よ 終わりまで」1・4節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 使徒パウロが、キリストを宣べ伝えたとの罪で獄中に置かれた際、通常なら喜べない状況において、彼の内から泉のように喜びが溢れ出る体験をしました。喜びの泉を掘り当てた理由が今日の個所で証しされます。
「わたしは、キリストとその復活の力とを知り(ギ:ギノスコー)、その苦しみにあずかって《コイノニア・交わり:Fellowship of His sufferings》、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中から復活に達したいのです(3:10-11)」。この言葉には、パウロ自身の犯罪によって投獄されたのではなく、キリスト・イエスの福音を伝えたがゆえに苦しんでいること。又、神の教えに従う時、イエスが経験された同じ苦難を体験する喜びも含まれています。しかし、同時にパウロが経験していた喜びとは、「イエスを十字架につけたのはこの私である」と、十字架の意味を真に理解することができた喜びでした。つまり「キリストとその復活の力とを知る」とは、神の御子イエスを十字架につけたのは他でもなく『この私である』との悔い改めと遜りの信仰へと導かれて救われ、キリストの復活の力に預かり、地上の人生と共に、来るべき世においても祝福される喜びと希望に溢れることです。
この真理を「知った」(ギノスコー:知識として頭で理解する以上に、主イエスと出会う)喜びの言葉が、8-10節で告白されました。「そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」。そうです、イエスを救い主キリストとして知る(出会う)ことは、この世の地位・権力・財産等、他の全てに勝るものであり、この素晴らしき教えを捨てることはできないと語るのです。
コルベ神父記念館(ニエポカラヌフ修道院)には、第二次世界大戦中、ナチス政権に反対し最初に殉教したポール・シュナイダー牧師のことも記されています。牧師として赴任した教会で、時代の権力を恐れず、聖書から真の福音を説き続けたことで、彼はナチスによってその教会を追い出され、別の任地へと行くよう命じられます。しかし彼は何度も彼が神に召された(Calling)と信じる教会へと帰還しては逮捕され、遂には投獄されました。けれども彼はナチスではなく神に従う信仰に立ち、41歳の若さで処刑され、「第二次世界大戦、最初の殉教者」と呼ばれています。彼は獄中で、ナチスに逆らった罪で収容された仲間を励ますため、機会あれば独房の壁伝いに大声で語りかけました。「キリストを信じる者は必ず復活がある。だから真理を貫くことを恐れるな!」と。彼は正に使徒パウロと同様に、キリストにある復活の喜びと希望を与えられていた信仰者の一人です。
パウロは「神がキリスト・イエスによって上へ召して《召命・人生の使命Calling,Vocation:》、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです(10:13)」と告白します。そうです。キリストの苦しみにあずかるコイノニア(交わり)とは、神がイエスに召命を与えてこの地上で用いられたように、私たちもそれぞれの召命(使命)を知って人生を生きる(走る)時、その先に賞与が備えられていることをパウロは信じていたのです。様々な苦難を前にする時、私たちも叫びましょう。「イエスを信じる者は復活されたキリストの力にあずかって(コイノニアの恵みの中に)いる。だから恐れるな!」と。