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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2023.1.8 主日礼拝 主イエスの許に帰ろう⑪「なお道を進もう、共に」友納靖史牧師【マルコによる福音書 10章46~52節】(新共同訳 新約P.83~84)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                     
招詞   詩編 119篇9~16節  司式者
祈祷          司式者
賛美   新生86番「輝く日を仰ぐとき」1、2,3節
献金感謝                 司式者
聖書   マルコによる福音書 10章46~52節
特別賛美  「わたしたちのこの口は」 HOPPY
宣教   主イエスの許に帰ろう⑪「なお道を進もう、共に」友納靖史牧師
祈祷
賛美   聖公会聖歌282番「罪に苦しむ」1,2,3節
頌栄    新生672番「ものみなたたえよ(B)」
祝祷
後奏
宣教概要
人生は失敗と成功の連続」と言われます。聖書は主イエス弟子たちの失敗を赤裸々に記しました。盲人バルティマイの出来事を理解するため、先に起きた二つの物語を読み解きます。第一に「子どもを祝福するイエス」(マルコ10:13-16)。人々が幼子を主に触れ祝福してもらうため近寄ってきました。ところが弟子たちは人々を叱り追い払おうとしたのです。それを見た主は憤り言われました。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。…はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」と。
 次に今日の箇所の直前に起きた「弟子ヤコブとヨハネの願い」(マル10:35-45)。この時主は「何をしてほしいのか」と尋ねます。そこで二人は主が栄光をお受けになるときそれぞれ左右に座らせて欲しいと願い、他の弟子達を出し抜こうとしました。すると主は「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受けるバプテスマ(洗礼)を受けることができるか」と、主が今から受けようとされる杯(十字架で流される血をぶどう酒に象徴)と共に、バプテスマ(水に浸かって罪ある身体が死に、水の中より起き上がって復活の命を象徴)により救いを完成させるために通らねばならい苦難、その先にある栄光を予告しました。しかし彼らはその意味も分からないまま、「できます」と返答し、更に主はこう語りかけます。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た(マル10:42-45)」と。
このような出来事の後、盲人バルティマイがエリコの町で「ダビデの子(偉大な王の子孫より誕生する救い主)イエスよ、わたしを憐れんでください(ラテン語:キリエ・エレイソン)」と叫び、周りの人々から叱責され制止される場に主と弟子たちは遭遇したのです。彼は、ますます主に同じ叫び声(信仰告白)を上げ続けます。その声に気づかれた主は「その人を呼んで来なさい」と命じ、二人の弟子に問いかけた同じ言葉「何をしてほしいのか」と尋ねます。すると彼は「先生(ラビより更に偉大な存在への呼びかけ方。他共観福音書で「主よ」)、目が見えるようになりたいのです」と彼に真実な必要性を主に誠実に求めました。こうして主は「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言われ、彼はすぐ癒され、見えるようになり、「なお道を進まれるイエスに従った」のです。つまり、この人は彼の願いが叶っただけで立ち去るのではなく、主の使命(エルサレムで十字架の苦難を受け、救いを完成される)を受けとめ共に歩んだのです。弟子たちは、まず臆することなく主に近づく幼子たちと、最後に周りに制止されてもなお主に求め、「仕える者(マル10:42-45)」となられた主イエスに従ったバルティマイの信仰に触れ、弟子たちは彼らの言動を振り返り衝撃を受けたことでしょう。
聖書は弟子たちのように、私たちも的外れな考えと行動を繰り返すことがあるのではないかと語りかけます。けれども主は弟子たちを見捨てず、なお彼らに真理を忍耐強く教え導き続けられました(マル14:32-42)。この主イエスの深い愛に触れ、聖霊に満たされ、時を経て弟子たちは全世界へ主の福音を伝える働きのため力強く使命を担う者へと変えられたように、私たちにも主なる神と出会い、対話する時間が必要です。
成人年齢が18歳へと早まりましたが、「大人になる」いや「人となる」ためには、恐れずに失敗と思える時間と関りとが必要です。死を越えて永遠に私たちと共に歩み、導かれる主イエスと、日々対話し(聖書を読み祈り)、失敗を恐れず、あなたに備えられた人生の道を、なお先へ歩まれますように。お祈りしつつ。