礼拝
森 崇
常盤台バプテスト教会 2023.10.15 主日礼拝 信仰の礎⑩「天国に入りたいのですが」森 崇牧師【テサロニケの信徒への手紙 一 5章23~24節】(新共同訳 新約P.379)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 ヨハネによる福音書 14章1~6節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生1番「聖なる 聖なる 聖なるかな」
献金感謝
聖書 テサロニケの信徒への手紙 一 5章23~24節
特別賛美 ”すべてをくださる恵みの神”
宣教 信仰の礎⑩「天国に入りたいのですが」森 崇牧師
祈祷
賛美 新生226番「世の終わりのラッパ鳴り渡る時」
頌栄 新生668番「みさかえあれ(A)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 厳しいキリシタン迫害の歴史の復活のシンボルである五島・堂崎天主堂には、キリシタン資料館が併設されています。この中にド・ロ聖教木版画があります。この木版画は宣教の再開にあたりフランス人宣教師ド・ロ神父がキリスト教の視覚的教材として日本人版画師に制作させて、主要な布教所や教会に配った木版画です。ここに「善人の最期」「悪人の最期」という絵があります。「善人の最期」では主イエスとマリア、ペテロが天国から優しい表情で見守り、キリスト信仰を持った人を天国へ迎え入れられている絵です。天使が「天にはむくいおおきなり」と書かれた巻物を示しています。しかし一方で「悪人の最後」ではサタンが大きな力をふるって地獄へと導こうとしています。天国においては神と天使二人が座しているのですが、この人を迎え入れる様子はありません。別の天使がみ言葉を掲げています。「汝自由にして、我を遠ざかりたるゆえ、今我より遠ざかれ」この二枚の絵は当時の宣教をよく表していると思います。「あなたは天国へ行きたいですか、あるいは地獄に行きたいですか」という宣教です。キリスト教信仰を持ち、厳しい迫害に耐えた人々は、圧倒的なパライソ(天国)への渇望があり、信仰の故に迫害に遭うことも主イエスの十字架を共に担わせて頂けるという喜びが共にありました。聖書が人々の手元に届いていなかった時代、善人と悪人、天国と地獄、天使と悪魔という構造は当時の人々の心に届いたことでしょう。
パウロは、主イエスの昇天後、再臨がすぐに来るという認識を持っていました(Ⅰテサ5:15)。キリストの再臨されるとき、この世に神の国が実現し、神のラッパが鳴り渡り、キリストに結ばれた死者の復活、そして信仰をもって生きている人が空に挙げられて主と再会し、主と共に生きるものとさせられる、それはすぐに来る、パウロたちの生きているうちに来るという強いイメージを持っていました。この主の日には、裁きがあり、永遠のいのちか、あるいは永遠の滅びかに分けられる時があるとします。しかし、その日を恐れたりするのではなく、すでに救われたものとして、今を生きなさいと説きます。「しかし、兄弟たち、あなたがたは暗闇にいるのではありません。ですから主の日が盗人の様に突然あなた方を襲うことはないのです。あなたがたはすべて光の子、昼の子だからです」(同、4,5節)
これまで常盤台バプテスト教会信仰告白をテーマにみ言葉を学んできましたが、今回で最後となります。10来世 我らはこの世の終末の来ることを信ずる。この時キリストは世をさ審き邪悪は永遠の滅亡に、義人は永遠の喜悦に定められる。この審判により神はその義に基き人間を永遠に天国又は地獄に定め給うことを信ずる。
キリストの再臨や終末、あるいは裁きはイエスの十字架・復活と共に大切にされるべき事柄です。それは善人か悪人か、天国か地獄かという二択なのではなく、パウロが勧めるように、今天の国に与かる希望を誇りとしながら、あなた方はこの地上で喜びと祈りと感謝、信仰と聖書と吟味をもって生き抜きなさいと勧められるのです。主イエスの十字架と復活と再臨は私たちを天の国にあって完全なものにしてくださる、全き汚れなき聖なる者として下さることを確信しつつ、共に歩んでまいりましょう。