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礼拝
友納靖史

常盤台バプテスト教会 2023.2.12 主日礼拝 主イエスの許に帰ろう⑭「神は生きている者の神」友納靖史牧師【マルコによる福音書 12章18~34節】(新共同訳 新約P.86〜87)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                     
招詞   コリントの信徒への手紙二 6章1~8節a  司式者
祈祷          司式者
賛美   新生26番「ほめたたえよ造り主を」1.2.3節
献金感謝            司式者
聖書   マルコによる福音書 12章18~34節
特別賛美  新生634番「キリストの愛われに迫れり」
宣教   主イエスの許に帰ろう⑭「神は生きている者の神」友納靖史牧師
祈祷
賛美   新生566番「主に任せよ」1.2節
頌栄    新生674番「父 み子 聖霊の」
祝祷
後奏
宣教概要
 ハンガーゼロ(日本国際飢餓機構)の「世界食糧デー礼拝」の一環で近藤総主事をお迎えしました。「スチュワードシップ」は、神より託されるもの全てを賢く用いる知恵と信仰です。ですから、与えられた世界の限りある食料を適切に配分する働きに関わることも当然含まれます。
 知恵と力に満ちた救い主イエスに、恨みを抱く宗教家達はサドカイ派を主の元に送ります。彼らは死後備えられる復活という人間の理解を越える偉大な神の力を信じない現実主義者でした。彼らの考え方を正当化するため、非現実的よこしまな質問を考え、主イエスに近づきます。当時、家名を守るため長男が死んだらその下の弟が、家の跡継ぎを絶やさないために兄嫁を妻とする風習(レビラート婚)がありました。それを例にあげ、「兄弟7名全てが一度は兄嫁と一緒になった場合、その女性は復活後、一体誰の妻として過ごすのか。そう考えると復活は非現実的な教えだ」と。ところが主イエスはそれに対して、「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ(マルコ12:24)」と応答されます。ここには主が、『神を信じ救いを得る者は、地上の価値や関係性から解放される』こと、また『すべてを越えた神の永遠の愛の関係の中で生きる』と、宣言されたのです。「実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました」と使徒パウロが驚きつつ告白した通り(コリ一15:20)、目に見える現実世界だけが全てだと誤解する人々(サドカイ派を含め)に、十字架の死を越えた、神に与えられる永遠の命を主イエスは証しされました。だから私たちは今、主の復活を通して、自らと愛する者たち全てに死を越えた希望が与えられ、平安で満たされるのです。
 「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神」と主が語られたことは、痛みと混乱に置かれた現代人への福音です。典型的日本人の宗教観(死んだ人を成仏させるため葬儀等を行う)や、カルトの教え(現在の不幸は過去に先祖が過ちを犯した報いとし、その呪いを解くため金銭が要求される)等に苦しむ方は決して少なくありません。弟子の一人が「まず父を葬りに行かせてください」と申し出た時、主が「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい」と言われました(マタイ8:21-22)。これも実は、死んだ者は神の領域に既に在り、生きている者が何かすることで弔われるのではないので、今ここに生かされている者の人生を第一にするようにと語られた出来事とも重なります。
 最も重要な教え(黄金律)として「神を愛すること」また「隣人を自分のように愛すること」だと、律法学者と主イエスが対話し、これまで続いた宗教家達との討論は完結します。神に生かされている自分を愛し、かつ神と隣人を愛するために今、自分に与えられた時間・富・食料を分かち合う姿に、スチュワードシップの実践が重なります。栄光に輝き天使たちを従え到来する世の終わり(再臨)の様子を主イエスが預言したとき(マタイ25:31-46)、「わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ…てくれたからだ」と語られます。それを聞いた人々は心当たりがない…と答えました。すると主は『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』と。ここには祝福された人々は無自覚で隣人を愛し助ける働きをしていたと証言されます。
私たちもこの様な人々の生き方と交わりに加えて頂けることを祈り求めましょう。