礼拝
友納靖史
常盤台バプテスト教会 2023.2.26 主日礼拝 主イエスの許に帰ろう⑮「終わりは始まり」友納靖史牧師【マルコによる福音書 13章1~13節】(新共同訳 新約P.88~89)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 イザヤ書 40章6~8節 司式者
祈祷 司式者
賛美 リビングプレイズ118番「威光・尊厳・栄誉」
献金感謝 司式者
聖書 マルコによる福音書 13章1~13節
特別賛美 「主の山に供えあり」
宣教 主イエスの許に帰ろう⑮「終わりは始まり」友納靖史牧師
祈祷
賛美 新生339番「教会の基」1.3節
頌栄 新生674番「父 み子 聖霊の」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 主イエスはエルサレム神殿において律法学者や多くの宗教家達と対話し、間違った信仰理解を正され(マルコ11:15-40)、最後の仕上げに、大勢の金持達が多額の献金をする姿と、貧しいやもめが僅かな献金する姿とを弟子たち見せこう言われました。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、誰よりもたくさん(あらんかぎりの)を入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物すべて、 生活費《ギ語:ビオス(一生・生涯)》を全部入れた(マル12:43-44)」。つまり主イエスは目に見える表象ではなく、人の心と信仰を見るようにと弟子たちを訓練されたのです。この直後、荘厳な神殿を見ていたく感動する弟子たちに主は語りました。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない(13:2)」と。
神殿から東方1キロ程離れたオリーブ山の頂上より神殿を見下ろしていた時、主の最も身近な弟子四人が「神殿が崩されて無くなる日はいつ来るのですか」と、密かに尋ねました。そこで主は具体的な日時は語られず、主の弟子とその後に続く者すべてが持つべき信仰の姿を教えられたのです。
第一に、「惑わされるな」です。「わたしの名を名乗る者が大勢現れ『わたしがそれだ(エゴー・エイミ)』と言って、多くの人を惑わす」ことを見抜いて、自らを神とする偽キリストに惑わされないよう警告されました。主イエスはご自身を『わたしはある(エゴー・エイミ)』と宣言され、多くの人がイエスを信じる一方、それゆえにイエスに殺意を抱く宗教家たちがいたのも事実です(ヨハネ福8:28-30,57-59)。かつて神がモーセにご自身を現わされた時、「『わたしはある。わたしはあるという者だ』:I am that I am (出エジ3:14)」と宣言されたのは、神ご自身だけの厳粛な宣言です。実は主イエスはそれを恐れずに語られ、ご自身の真の存在を証しされたのです。そして主イエス以外の者がそう語る時、決して惑わされるなと教えました。だからこうして今、私たちは守られています。
第二に、「慌てるな」です。戦争、地震、飢饉などは人生を一変させる恐ろしい出来事です。残念ながらそれは繰り返しこの世で起き、それに対する人々の恐怖心をカルトや偽宗教家、政治家達が利用し、心を支配されてはならないと主は警告されたのです。それ以上に主は、混沌とした時代にさえ、希望を持ってと語られています。つまりイエスを救い主と信じ、御言葉に聴き従う者はいつの時代も迫害に曝されるが、その時、人前で弁明させられるのは実は証の機会となること。そして「実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊が語ってくださる(13:11)」との神と共にある体験をするから「恐れるな、慌てるな」と。世の終わりが来たかのような思いになっても、何よりも「福音があらゆる民に宣べ伝えられる」希望へ目を注ぎ、恐れず生きる信仰を育くまれたのです。2000年前に世界の片隅ユダヤで語られた主イエスの言葉。その預言が今や、世界中が通信網等でつながり福音が全ての人々に届く時代になっていることは驚きです。歴史を振り返ると常に偽預言者たちが、恐れと不安で人々を惑わし混乱させてきました。けれども主は「最後まで、耐え抜く(ギ語:ピュポメノー<誰かの下に居続ける>)」、つまり唯一の救い主イエスのみ許に留まり続け、キリストの体なる健全な教会が福音の希望を語るようにと命じられたのです。十字架の死がなければ完全な救いも復活と永遠のいのちへのも与えられませんでした。この世の悪が神の裁きによって滅ぼされる時が来るからこそ、天の国(神の国)が完成する希望と喜びの福音は、正に「終わりは始まり」と信じる者には希望です。