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礼拝
森 崇

常盤台バプテスト教会 2024.3.3 主日礼拝 あなたが存在する理由①「このいのちを主は喜びとされる」森 崇牧師【ローマの信徒への手紙 12章1~2節】(新共同訳 新約P.291)


礼拝出席カード



音声メッセージ

礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
礼拝プログラム
前奏                  
招詞    詩編 96篇1~3節   司式者
祈祷                        司式者
賛美    新生241番「この日イエスは復活された」
献金感謝
主の晩餐式 「ひとつの聖霊」
聖書    ローマの信徒への手紙 12章1~2節
宣教    あなたが存在する理由①「このいのちを主は喜びとされる」  森 崇牧師
祈祷
賛美    新聖歌266番「罪 咎を赦され」
頌栄    新生667番「聖なるかな 聖なるかな」
祝祷
後奏
宣教概要
 あなたは神に喜ばれる存在としてこの世に生まれました。どの親にとっても子どもがかわいいように、神さまは私たちを御子イエス・キリストを通して神の子として受け入れ、私たち一人ひとりを喜びとして下さっています。神が私たちを喜びとされることについて、イザヤ書では婚姻関係に例えて言われます。「花婿が花嫁を喜びとするように、あなたの神はあなたを喜びとされる」(62:5)花婿は主なる神、そして花嫁は私たち人間です。この方は主ご自身と婚姻/契約関係を持って歩むように招かれます。多くの場合、婚姻関係には様々な約束事や、それぞれの役割や働きかけが相互にあるように、神が私たちを喜びを持って召し出してくださるとき、同じ喜びを持ってこの人(主なる神)に仕えます。
私たちが神を喜びとすること、それが礼拝です。
 「(旧約)聖書の中で、どの掟が最も大切ですか」と問われたイエスさまは、「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」(マルコ12:29-30)と言われました。
「主を愛する」こと、これが礼拝です。このイエスさまの言葉は申命記6章4-5節の引用ですが、礼拝とは自分自身を尽くして主を愛することと同時に、この神であられる主が全くの唯一の主であられることを強調することが礼拝の本質です。唯一無二の方が私たちを愛すればこそ、私たちはこの礼拝においてこの方こそ「唯一の主である」と告白して生きるために礼拝はあるのです。
旧約聖書から新約聖書に至るまで、礼拝は様々な変遷を経てきましたが、礼拝のシンプルな源泉は「主を呼び求めること/救いの神に感謝し/献げものをささげる」 (創世記8:20) ことです。神の救いに対する自発的な応答としての礼拝があるのですが、聖書の礼拝は大きく三つの側面からなっています。それは「喜びの賛美/聖書の解き明かし/応答のささげもの」です。詩編は賛美が喜びと感謝を持って捧げられるものであることを強調しています。この主を喜びとする礼拝は、新生された者が新しい歌として自分の救いの喜びを歌い伝え、またすべてのものがこの礼拝に招かれるように「全地よ」と呼びかけます(詩編96:1-3)。
 また再建された神殿礼拝の際には聖書のみ言葉が人々に伝わるように分かりやすく語られることによって、み言葉の礼拝がなされてきました(ネヘミヤ8:8)。この時代に「主を喜び祝うことこそ、あなたがたの力の源である」(同、8:10)と告げられます。
 イエスの時代にも神殿において賛美、み言葉の朗読、動物の犠牲の献げ物がなされてきましたが、世を救うために来られた神の子イエス・キリストが十字架上でいのちをささげられることにより、すべての人の贖いとして神の小羊(イエスご自身)が捧げられることにより、罪の赦しや神との和解のささげものの時代は終わりを迎えたのでした。神学者パウロはこのような神の憐れみによって、なすべき礼拝が新しくされたことを告げています。それは自分自身を神に喜ばれる礼拝として捧げることです。日曜日に教会でささげる、あるいは配信礼拝を通してささげる礼拝のみではなく、わたしたちの人生そのものが礼拝となることを主は喜ばれるのです。主を喜び祝う礼拝に起こるのは「心の刷新」です。神の御心を知り、何が神の喜ばれることであるのか、完全なことを知って礼拝者として歩んでいく時、主の栄光はわたしたちの人生のうちに豊かに顕されます。